正誤表 『神とパンデミック』
N.T.ライト『神とパンデミック』(2020年初版)
誤 P42 二行目 ヨハネの福音書14章
正 →ヨハネの福音書11章
誤 P53 アタナシウス(3箇所)
正 →アナスタシス
大変申し訳ありません。訂正をお願いいたします。
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バニエさんの醜聞が発覚。絶句。
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ジャン・バニエさんが天に召されました。
知的ハンディを持つ仲間とそうでない人たちが共に住む共同体「ラルシュ(方舟)」をフランスで創設した方です。そこを訪れる人が感動を受け、その運動は次々に世界に広がって、現在は150箇所以上ものラルシュ共同体が創設されています。
バニエさんのメッセージは、初めて聞く人に衝撃的なインパクトを与えます。そして、ハンディを持った方々への私たちの見方を変えました。弱い立場の人を哀れに思い、見下しがちな私たちこそ、さまざまなハンディがある、弱い、貧しい、愛を必要とする人であることを見る目を与えてくれました。
バニエさんとの出合い
本人も知ってか知らずか、「私たちは貧しい、小さな、小さな存在です」と、見上げるような大男がメッセージで語るのですす。それを、「クスッ」と笑って聴いているご婦人もいて、微笑ましいものでした。
小社でバニエさんの講演集『小さき者からの光』(1994年初版、現在品切)を出版したのは、カトリック司祭ナウエン著『イエスの御名で』(1993年初版)の出版がきっかけでした。訳者の長沢道子さん(現在、社会福祉法人 牧の原やまばと学園理事長)がそれを読んで、ナウエンとラルシュ共同体との関係を知り、バニエさんの講演録を送ってくださったのです。 私(編集者)はそのとき、バニエさんのことはまったく知らず、ラルシュ共同体についても詳しく知りませんでした。
いただいた素晴らしい内容の講演録だけでは量が少ないため、もう一つの講演を探していただき、それをテープから起こして一冊にまとめ、著者の許可を得て出版することになりました。

だいぶ後で気づいたことは、この本に納められたメッセージは、ナウエン著『傷ついた癒し人』に強い影響を受けていることです。ナウエンさんがバニエさんから大きな影響を受けたのはもちろんですが、ナウエンさんがバニエさんに与えた影響も大きかったと思います。

『明日ヘの道』(原題・デイブレイクヘの道ーー2001年初版、品切)には、ナウエンさんとバニエさんがどのように出会ったかが書かれています。それは、とても不思議な内容です。
70年代後半、ナウエンさんがまだイエール大学神学部で教えていたころ、ラルシュ共同体から一人の女性の使者がナウエン宅にやって来ました。「バニエからよろしくとのことです」というだけの挨拶を携えて。
そして数日、家事を手伝って帰っていきました。・・・・それだけでした。
そして数年後、バニエさんからナウエンさんに電話がかかってきました。シカゴでの黙想リトリートに誘われました。それは文字どおりの「黙想」でした。二人はあいさつ程度で、お互いにほとんど話さず、祈りと沈黙で過ごしたのです。
その後、二人の付き合いがはじまりました。
カトリックの伝統である「黙想リトリート」ですが、今では私も年に二、三回、修道院に滞在し、沈黙で過ごすことが生活の一部になっています。「独りで黙想し、待つ」というのは、人生に意味ある「出会い」をもたらしたり、気づかせてくれるものかもしれません。
ナウエンさんは1996年に天に召されました。それから23年がたち、今度はバニエさんが召されました。とても悲しいですが、二人は地上での使命を果たし、多くの贈り物を私たちに残し、不在の人となりました。
しかし、ナウエンが言うように、二人の人生はこれからもずっと私たちの間で実を結び続けるでしょう。その贈り物一つは、彼らの人生に対する私たちの「感謝の想い」ではないでしょうか。
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講演会:『「霊性の神学」とは何か」の著者による講演
福音主義、霊性、そして『霊性の神学』
講師:篠原 明
6月29 (土)午後:1:30~3:00
場所:お茶の水クリスチャンセンター4階 416号室 JR中央線御茶ノ水駅より徒歩1分
定員:約40名
主催:あめんどう 後援:クリスチャン・ライフ成長研究会・聖契神学校
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正誤表『「霊性の神学」とは何か」(初版)
114頁 7行目 隆一郎 → 隆一朗
127頁 後ろから4行目 隆一郎 → 隆一朗
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『驚くべき希望を』読むために(概要を知る)

天国、地獄、煉獄、復活、再臨、さばき、携挙、
新天新地と教会の使命等。長い間の論争に挑み、
1世紀のキリスト者の世界観を現代によみがえらせる。
著者 N. T. ライト
訳者 中村佐知
四六版 並製
定価 2,900円+税
いよいよ、N.T.ライトの著作で最も話題を呼んだ邦訳の発行です。かなりの頁数です。読むのがしんどいと思われる方に、著者をよく知る神学者より全体の概要の紹介を書いていただきました。本書の巻末に掲載されています。全体像をつかんで、この刺激的な本書を読んでみてはいかがでしょうか?(横書きに当たり、小見出しをつけました。)
『驚くべき希望』解説
山口希生・ライト『新約聖書と神の民』〈上・下〉訳者
日本同盟基督教団中野教会伝道師
本書はN.T.ライトの著作の中でも最も広く読まれ、また大きなインパクトを与えた一冊です。本書の内容を知るには本書そのものを読むのがいちばんで、それに解説を加えるのは「屋上屋を架す」となる恐れがあります。しかし、500頁近くにも及ぶ大著であることから、ガイドのようなものがあったほうが読者の方々のお役に立つのではと思い、本書の内容をかいつまんで紹介させていただきます。
主題の一つは「復活」
本書の主題を一つ選ぶとするならば、それは「イエスの復活」です。西洋のキリスト教の伝統において、最も重視されてきたのは「十字架」でした。十字架のない教会はほとんど皆無であることから、このことは自明でしょう。それに対して「復活」はどうでしょうか。あまり復活を強調しない教会も少なくありません。キリスト教各派の中でも特に福音派では、復活の史実性は非常に強調されます。しかしその場合でも、救いの教えにおいて中心を占めるのは十字架であって、復活ではないといっても言い過ぎではないでしょう。それに対し、本書では「復活」の救済的意義が徹底的に掘り下げられ、新たな光が当てられます。
第3章と第4章ー復活の史実性
まず、復活の史実性について論じられているのが、第3章と第4章です。ライトはThe Resurrection of the Son of Godという700頁以上もある学術書で、「イエスの復活」の史実性を強力に擁護しましたが、その重厚な議論のエッセンスがコンパクトにまとめられているのがこれらの章です。本書の中では最も護教的な議論と言えますが、そのようなテーマに関心がある方はこの二つの章をじっくりと読まれるとよいでしょう。
第1章と第2章ー英国における死後の世界の捉え方
次に、本書冒頭の第1章と第2章ですが、ここでは現代のヨーロッパ、特に英国における人々の死後の世界についての捉え方が紹介されています。英国ではクリスチャンの間ですら、すべての信仰者が「復活」するという信仰が希薄になっており、むしろ死後に魂が「天国」に行くことがクリスチャンの究極の希望として受け入れられているという現状が指摘されます。ここには肉体を「魂の牢獄」と見なし、死によってそこから解放されて霊的な至福の世界(「天国」)に行くことが救いであるとする霊肉二元論・プラトン主義の影響をはっきりと見いだせます。
第5章以降ー復活の重要性
では、なぜ「復活」がクリスチャンの希望においてそれほど重要であるのかが論じられているのが第5章以降です。ライトは、イエスの復活の意義を個人的なレベルではなく、まずは全宇宙的なレベルで捉えるようにと読者を促します。ライトによれば、聖書が提示する究極の希望とは個々人の救いというよりも、神の創造した全被造物(つまり全宇宙)の刷新にあります。神のヴィジョンとは、神の造られた「良き世界」の破れが修復され、そこから悪が一掃されることを通じて全被造物が贖われることです。人間には、その贖われた世界(新天新地)において果たすべき重要な役割があります。キリストによって贖われた人類は、贖われた世界を忠実に管理する役割が与えられるのです。言い換えれば、アダムが果たせなかった召命を、キリストとその体である教会が果たすということです。「イエスの復活」は、神による全被造世界の刷新プロジェクトの初めの一歩であり、そしてイエスの復活の体こそ、「新しい創造」の始まりそのものです。かつて天地を創造された神は、復活のイエスの体において、新たな天地創造に着手されたのです。
第7章以降ーイエスの昇天、再臨の意義
イエスの復活を出発点として、さらにイエス・キリストの「昇天」と「再臨」の意義を論じているのが第7章以降です。キリストが天に昇ったというのは、キリストがこの世から消え去ってしまったということではありません。むしろ、昇天よって初めてキリストはこの世界を完全に支配することが可能になるのです。いまや復活の体を備えたキリストは、地上にいる場合には一か所にしか存在することができませんが、天に昇ったあとは、体を持ちながらも地上のあらゆる場所に同時に存在することが可能になるからです。ここで重要なのは、天に昇ったイエスは体を持っており、それゆえ人間であるということです。
第8章、第9章ーイエスの再臨と新天新地
第8章では、体を持ったまま天に昇ったイエスが再び現れること、すなわち再臨について論じられます。再臨とは、新しい天と新しい地とが一つに統合される瞬間であるというのです。つまり、再臨が新天新地の完成として理解されています。さらに第9章では、再臨においてキリストがさばき主として来られることの意味が解説されます。さばきという言葉は今日では否定的に取られやすいですが、聖書的なさばきとは「不正をただす」さばきであることが強調されます。
第10章ー体の贖い(「死後のいのち」の後のいのち)
そして第10章では、クリスチャンの「体の贖い」について語られます。これは本書の中核的な章であると言えるでしょう。ライトはここで、「死後のいのち」の後のいのち(Life after “life after death”)というユニークな造語を用いています。クリスチャンが死後にパラダイスに行く、あるいは安息を得ることそのものは否定しませんが、それはあくまで一時的な状態であり、最終的な希望は体の贖い、つまり復活にある、とライトは力説します。復活した体で新しくされた天地を相続すること、それこそがクリスチャンの究極の希望なのです。
第11章ー煉獄、地獄
第11章では、宗教改革で否定されたはずの「煉獄」が形を変えて人々の思考に影響を及ぼしている現状が指摘されます。ライトは煉獄をきっぱりと否定します。地獄については、それがある種の思考実験であることを断ったうえで、慎重な議論が展開されています。
第12章以降ー教会の使命
第12章以下では、ここまでの内容を前提とした上での教会の使命についての考察がなされます。クリスチャンの究極の希望が「死んで天国に行く」ことではなく、「贖われた体で刷新された天地を相続する」ことにあるのなら、では今日の世界でクリスチャンがなすべき務めとは何であるのか、そのことについて論じられます。ライトによれば、この地上で「神の王国」のためになしたすべてのことが新天新地で用いられます。そのことについて、「正義」「美」「伝道」という角度から光を当てます。
第14章では、教会を神の王国の働きに整えるために、聖書がイエスの復活をどのように証ししているのかをいま一度深く味わうように、と促されます。ここでは福音書・使徒行伝とパウロ書簡が取り上げられます。最後に第15章では、復活祭(イースター)をどのように祝うべきかについて、刺激的な提言がなされています。
簡潔ではありますが、本書の内容をまとめてみました。本書には、今まで皆さんが考えてもみなかったような内容も含まれているかもしれませんが、ぜひじっくりと取り組んでいただきたいと願っています。
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『シンプリー・ジーザス(SJ)』第4章資料集
第4章 紀元一世紀の嵐を引き起こすもの
本章の4ページ目をくくると、ローマ皇帝の名前が出てきます。これが日本人の我々には困るのですよね。似たような名前がよくあるので。
そして、イエスが生まれたときの皇帝と地方の王、大人になって活動したときの皇帝や地方の王の人物は、名前がよく似ていても、異なる人物です。
たとえば、イエスが生まれたとき、二歳以下の子どもを虐殺したヘロデ王と、イエスが活動したときのヘロデ王は親子関係にあり、人物が異なります。また、イエスが生まれたときのローマ皇帝と、イエスが活躍したときの皇帝は、親子関係にあるものの、人物は異なります。
ローマ帝国という嵐
P.62 9行目 ユリウス・カエサル(紀元前100年--44年暗殺される)
「ガーイウス・ユーリウス・カエサル」が、当時のラテン語の発音に最も近いそうです。シェイクスピアの戯曲で知られる「ジュリアス・シーザー」(Julius Caesar)です。「ガイウス・ユリウス・カエサル」は慣用的表記。このうちの「ユリウス・カエサル」を本書では使っています。彼の姿は少し言及されるだけで、すぐ次の皇帝に移ります。
オクタウィアヌス(在位紀元前27年 –紀元14年)初代ローマ皇帝

ユリウス・カエサルが暗殺されたあと、養子の「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス」が内乱を勝ち抜き、紀元前27年に、初代皇帝になりました。
彼が地中海世界を統一して帝政を創始し、「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)を実現しました。現在の英語の「8月」Augustの語源になっている人物であります。人口調査を命じ、イエスが住民登録でベツレヘムへ移動し、誕生したときの皇帝ということになります。彼は死後、神格化されていきます。
この「オクタビアヌス」は「カエサル」という名前とともに、王の称号となり、次代に引き継がれます。
このオクタビアヌス・アウグストゥスは、紀元14年老年のため亡くなります。死後、神格化されて、後継者である次のティベリウスが登場。いよいよイエスの時代の皇帝です。
ティベリウス・ユリウス・カエサル(二代目ローマ皇帝。在位紀元14年- 37年)

アウグストゥスの養子が帝位につきます。イエスが刑死したときのローマ皇帝でした。でも、イエスの刑死後、何年もたたずに亡くなっています。暗殺説もありますが自然死ということです。
P.64 後半 コイン(硬貨)

ライトは、以下のようにコインの実物を手に取って、イエスの登場をドラマチックに描いています。
〈私の机の上には、ティベリウス統治時代の硬貨が置いてある。コインの表にはティベリウスが描かれていて、その周りに彼の略称が以下のように書かれている。AUGUSTUS TI CAESAR DIVI AUG F それを完全な形に直せば、AUGUSTUS TIBERIUS CAESAR DIVI AUGUSTI FILIUS つまり「アウグストゥス・ティベリウス・カエサル、神なるアウグストゥスの子」という意味だ。裏面には祭司の装いをしたティベリウスが描かれており、PONTIFEX MAXIMUS〔大祭司〕というタイトルが記されている。
そのコインは、イエスがロバに乗ってエルサレムに入場してから数日後、人々がナザレのイエスに見せたもので〔マタイ22・17〜22〕、彼らはイエスにカエサルに税を納めるべきかと尋ねたのだった。誰が「神の子」なのか? 誰が「大祭司」なのか? イエスは嵐の目の中にいた。〉
以下は、コイン商のサイトに移動します。イエスが見たものが金貨かどうかわかりませんが、まさにこのデザインが使われたことでしょう。
www.parisii.jp/product/916(リンク先ではコインの裏側も見れます)
古代ローマコイン 帝政期 ティべリウス アウレウス金貨
オモテ:TI CAESAR DIVI AVG F AVGVSTVS
(ティベリウス カエサル 神となったアウグストゥスの息子アウグストゥス)
ウラ:PONTIF MAXIM
(ポンティフェクス・マキシムス(大祭司)右手には笏、左手にはオリーブの枝
ティベリウスの容姿
「ティベリウスは堂々とたくましい体格の持ち主で背丈も人並み以上であった。肩幅は広く、胸板も厚かった。彼は歩くときは首を前に傾けたまま動かさず、常にきびしい表情をしていた。無口な人物で、友人たちと打ち解けて話すことはほとんどなかった。」スエトニウス著『ローマ皇帝伝』
ユダヤの嵐
P66 最終行
〈現代人にとって、自分が遠大なストーリーの中を生きるとはどういうものか、最も分かりやすい例を挙げるなら、それは近代の西洋世界の勃興以来、「進歩」のストーリーの中を私たちが生きている、という感覚だろう。それを英国で言えば、いわゆるホイッグ党〔一七世紀後半に国王の即位に反対した政治勢力〕によって特筆大書された歴史観である。つまり歴史とは、漸進的な進歩の流れという名のストーリーであり……。〉
ホイッグ党とは何でしょう? イギリスや西洋史を詳しく知らない人はよくわかりません(私も)。
以下のWikipediaを参照ください。
P.67 ホイッグ党・ホイッグ史観
イギリスで醸成された進歩史観の源泉となるような社会思想で、明治時代、日本にも影響を与えているらしいです。日本人のイギリスに対するイメージはこれらの価値観で色づけられている模様です。
ホイッグ史観とは(クリックどうぞ)
Wikipediaより引用
「福沢諭吉・竹越与三郎(歴史学者、政治家)ら多くの知識人によって紹介されたイギリスは、ホイッグ史観にもとづく肯定的・楽天的イメージが伴うものだった。こうしたイギリス理解は、日本人の中のイギリスの印象をほぼ決定づけ、さらに自由民権運動の思想的・理論的下地を提供する役割もはたした。
P.70-74「出エジプト」「新・出エジプト」
出エジプトの決定的な歴史的重要性を理解することは、イスラエル民族と旧約の聖書理解にとってきわめて中心的なことで、イエスの登場とその背景とも深く結びついています。出エジプトをそんなに重要に扱って見るのは、私もライトの書物を読んで初めて意識するようになりました。
〈出エジプトを理解すれば、ユダヤ教について多くのことが分かるようになる。そしてイエスのことも。イエスは過越祭という出エジプトを祝う偉大な民族の祭りの日を選び、決定的な行動に出た。〉(P.70)
〈多くのユダヤ人たちがバビロンから連れ戻され、紀元前六世紀の終わりころには神殿さえ再建していたが、待ちこがれていた本物の「新しい出エジプト」は、まだ実現していないという強い思いを抱いていた。〉(P.73)
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「睡眠不足」と「睡眠負債」
睡眠負債とは
最近、NHKテレビが、「睡眠負債」という聞き慣れない言葉で現代人と睡眠の問題について特集していました。蓄積される睡眠不足を「睡眠負債」と名前をつけてました。それが健康に悪さをするらしいです。
この負債は、がん、認知症、糖尿病、脳梗塞を発症させる温床に。私は医学には素人ですが、いろいろと見聞きすると、心臓病にもかなり関係するのではないかと推測します。
睡眠不足はあとで補えます。しかし、「睡眠負債」は、たまに長い時間寝ても返済できないのだそうです。
これらのことは、アメリカのシンクタンクの研究からわかってきたことだそうです。
自分は睡眠負債があるか?
ふつう人間は7、8時間の睡眠を必要としています。たとえば、「私は毎日6時間、7時間で生きてます」と言う人も、まっくらな部屋で時計なしで寝てもらう実験をし、普段より二時間以上も寝てしまうようなら、「睡眠負債」がたまっているのだとか。
睡眠負債の返却の仕方
そこでその解決策、返済の仕方ですが、たまに寝だめをしてもだめだそうです。
一時的な不足は補えますが、蓄積された負債は補えないのだというのです。
何をしたらよいかと言うと、あっけない結論ですが、「早く寝ること」、つまり生活改善しかないそうです。
テレビ番組では、今より1時間早くなることを提案していました。起きる時間を遅くするというより、早めに寝ることです。
それはなぜかというと、私の理解では、午前2時に寝て7時間後の9時に起きても、起きてから日光を浴びると体内時計が通常の感覚にリセットされてしまうらしいからです。
そこで、太陽が出て、明るくなるころ目覚めるように寝ることが大事になります。
つまり、12時より前に寝ることです。
体がだるい、集中できない、疲れやすい、元気が出ないという人は(私のことですが。笑)、10-11時に寝るように生活を改善することで、劇的に回復するかもしれません。
私は専門家でないので確かなことは言えませんし、いろんなケースがありましょうから、誰でも当てはまるかわかりません。しかし、かなり常識的な結論になりましたね。
この研究では、「睡眠負債」というものがあること、それはただの寝不足でなく、もっと深刻なものであって、たまに週末に長時間寝ても返済できないことを知りました。生活改善しなくちゃ。
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バーバー作曲「弦楽のためのアダージョ」を教会音楽に編曲「アニュス・デイ」
この動画は20年くらい前の記録らしいですが、ていねいに歌われ、聴き入ってしまいます。
神の子羊(アニュス・デイ)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
子羊 神の 主よ 除きたもう 罪を 世の
(神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、)
miserere nois.あわれみたまえ われらを
(我らをあわれみたまえ。)
Agnus Dei, qui tollis peccata mondi:
子羊 神の 主よ 除きたもう 罪を 世の
(神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、)
dona nobis pacem.与えたまえ われらに 平安を
(我らに平和を与えたまえ)
より新しい録音の演奏です。
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『シンプリー・ジーザス(SJ)』第2章ー第3章資料集
第2章 三つの難題
P.32 メリアム・ウェブスター辞典

2章はこのくらいですかね。
ウィキペディアによると、「複数の厄災が同時に起こって破滅的な事態に至ることを意味し、リーマン・ショックなどにも比喩的に使われる」だそうです。
(以下、ストーリー)1991年9月、マサチューセッツ州グロスターに一艘のメカジキ漁船 - アンドレア・ゲイル号が漁に出る。遠方の漁場へ足を伸ばし期待通りの大収穫を収めた。この時、「ノーイースター」と呼ばれる嵐に加えて「ハリケーン」も接近して、急ぎ帰路に就いたが、ノーイースターとハリケーンが融合し、巨大な嵐“パーフェクト・ストーム”(1991 Halloween Nor'easter)が発生した。
懐疑主義(米: skepticism、英: scepticism)ウィキベディアより抜粋、以下Wikiとする。

『宣教師の立場』←リンク有り
サム・アトキンス(訳文にある名前)
すみませんが、ここは原書の英国版と米国版で異なる人名が記してある可能性があります。たぶん、ピーター・アトキンスとサム・ハリスがごっちゃになっているかもしれません。いまになって気づきすみません。
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紙上対談:N・T・ライト著『シンプリー・ジーザス』の訳者に聞く
発行後三ヶ月が経って
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『シンプリー・ジーザス』第1章資料集
次のリンクの写真が素晴らしい。→イタリア、スクロヴェーニ教会(1303-1305作)
第1章 P.17
イエスがやって来るのに合わせて、人々は自分たちの衣服を路上に敷いて彼を出迎えた。イエスがオリーブ山の麓に下ってくると、弟子たちの一群は声のかぎりに神を誉めたたえた(ルカ19・36〜37)。彼が近づいてくるにつれ群衆は、ますます熱狂していった。これこそ彼らが待ち望んでいた瞬間だった。人々は古くから愛誦されてきたあらゆる歌を口ずさみ、喜び祝った。とうとう彼らの夢が叶う時がきたのだ。
イエスは彼らが期待していたような王ではなかった。(略)イエスはロバに乗り、そして泣いていた。潰えつつある人々の夢のために涙を流し、自分の支持者たちの魂をも貫く剣のために泣いた。人々が待ち望んだ到来しない王国のために、また本当に到来していた王国のために、彼は泣いたのだ。
この箇所で、思い出したのは、ナウエン著『明日への道』に出てくる美しい文章です。(以下抜粋)
P18に入るとミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』(70年代初期)を聞いたことが出てきます。いまの若者はまったく知らないでしょうが、これは50歳代以上の人はだいだいい知っているはず。日本でも劇団四季が日本版を上演し話題になりました。いまはありませんが、中野サンプラザホールのこけらおとしで上演されました。当時新人で、いまは有名な俳優として、鹿賀丈史、滝田栄、もんたよりのり。
俺はあなたを見るたびに疑問がわくんだよ。
どうして手に余るようなことをしでかしたんだい。
計画的にすすめていれば、もうちょっとうまくやれたんじゃないのかい。
あなたの手には負えないような大きなことにどうして手をだしたのか。
よく考えて行動したなら、こんなことにはならなかったはずだ。
ジーザス・クライストは、スーパースター。
あなたは本当は誰なのか? 何のために苦しんだのか?
聖書に書いてあるとおりの人なのか?
P.21
この問いはとんでもなく重要だ。その問いとは、イエスとは実際に誰だったのかという問いだ。彼は何をなして、何を語り、それは何を意味したのか? これは成熟したキリスト教信仰が取り組まねばならない問いである。
そこで、現代の思想に影響を与えた有名な3人を引いてきます。

リチャード・ドーキンス 1941年生まれ。動物行動研究グループのリーダー。オックスフォード大の“科学的精神普及のための寄付講座”の初代教授。王立協会フェロー。『利己的な遺伝子』は世界中でベストセラー。ショッキングなタイトルの本は以下です。
「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインを自称する、進化論を学校で教えることに反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。
あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通す著者の、畳みかけるような舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。
ナザレ出身のイエス
ナザレのイエスは歴史上の人物である。これが私たちの出発点となる。イエスはおよそ紀元前四年頃に生まれ(現在の西暦システムを考案した人々はよい仕事をしたが、完璧ではなかった)、パレスチナ北部のナザレという村で育った。彼の母は祭司の家系に連なっていて、ヨハネというがいた。そのヨハネは普通の人生を送っていれば、祭司となるべき人物だった。(地図『地球の歩き方』より)
(クリックで拡大)
本書での試み
ライトは1章の終結部でこう言っています。
P.29
もしイエスが実在せず、(ある人々が愚かしくも示唆するように)自分たちの新しい運動を正当化するために誰かがねつ造した人物だとしたなら、彼について考える意味はない。しかし、彼が歴史上の人物であるなら、彼が何をなし、それがその当時どのような意味を持っていたかを見いだそうとすることは可能である。私たちは(これから)福音書の内側に分け入っていこうとする。そうすることで、福音書記者たちが語りかけようとしていながら、私たちには見えなくなってしまったイエスを発見することができる。本書の多くの部分はそうした試みである。
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『シンプリー・ジーザス』資料集「はじめに」
さて、いつまで続くかわかりませんが、 NTライト著『シンプリー・ジーザス』のリンク集を作ってみます。気楽にいきます。読書の補助としてお役立てください。


Simply Jesus(米国2011)『シンプリー・ジーザス』(2017)
「はじめに」リンク集
まず、ライト教授が教えるセント・アンドリュース大学の風景を見てみましょう。バスからの風景を写してある模様です。1412年創立。日本では室町幕府の足利義満のころ。欧州ではジャンヌ・ダルクが生まれた年。ものすごく古くてびっくりです。中世そのままの建物でしょうか?
長いので5:40くらいからどうぞ。日本語による字幕説明のすぐあと、海に近い街の地図が出てきます。ライト教授が教えている「セント・メアリー・カレッジ」は下の部分に標示されています。大学の少し手前の緑の郊外から始まって、街に入ります。やがて大学の風景になると、紹介が2分くらい続きます。大学の外観は、7:50分当たりから10:00までで、かなり長い映像が見られます。後半に卒業式が行われる講堂も出てきます。
大学の映像が終わると、宗教改革の騒動で破壊されて廃墟になった大聖堂。続いて有名なゴルフ場が出てきます。セント・アンドリュースというと、私はこのゴルフ場の名前しか知りませんでした。
P.5の終わりごろ
大学の前で、ある車のドライバーが車を止めて、「ここからグラスゴーまでどうやって行けばいいですか?」と質問を受けたとしたらどう説明するか、という場面が出てきます。グラスゴーって? 名前だけは聞いたことありますが、イギリスに詳しくないのでどこか分かりません。
ということで、以下に地図を作ってみました。こんな感じなのですね。ほぼ一直線。たしかに途中に大きな川があります。(地図をクリックで拡大)
P.6
P.8「チェルシー・フラワー・ショー」
「第二部の内容があまりに豊かなので、まるでチェルシー・フラワー・ショーの案内人になった気分」という言葉が出てきます。フラワー・ショー?
P.11「(父が三日で読んだ)復活についての膨大な本。700ページもある」
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(紙上対談)新刊『風をとらえ、沖へ出よ』の訳者に聞く
今年1月に発行されたチャールズ・リングマ著『風をとらえ、沖へ出よ』。
書評が「キリスト新聞」、雑誌「ミニストリー」に掲載されました。
そこで訳者の深谷氏に、紙上インタビューということで、いくつかの質問に答えていただきました。本書を読む上で、参考にしていただけたら幸いです。
訳 者:深谷有基(フリーランス編集者、執筆者)
インタビュー:小渕春夫(あめんどう)
はじめに
——完成した本を目の前に、いまどんなお気持ちですか?
深谷 ようやく「出帆」したな、と。もっとこなれた訳にしたかったですが、それではいつまでも出ないので、あとは読者の皆さんに補っていただき、議論のきっかけになればと思います。この本が著者も驚く形で日本語訳になったように、この日本語訳が訳者も驚く形で沖へ出て航海を進めていくことに期待しています。
——訳者としてはカタカナをできるだけ避けたい気持ちがあったと思いますが、「オルタナティブ」「エンパワーメント」「インフォーマル」「ミニストリー」などあえてカタカナのままにしたようですね。そのへんの苦労はいかがでしたか?
深谷 非常にもどかしかったです。辞書的に訳すともう一つの意味が抜け落ちてしまうとか、あるいは日本語だと違うイメージになってしまうということがあり、かといって補足していくとまどろっこしくなってしまうし。
どうしたらしっくりした日本語になるのか、ここはひとつ読者の皆さんにもご一緒にウンウン悩んでもらいたいです。それ自体が、「文脈化」の作業だと思うので。あるいは、翻訳を超えて、すでにある日本語のなかでもっと相応しい言葉に置き換えてもらえれば、なおよいかもしれません。
著者について
——リージェントカレッジでリングマさんの授業を受けたそうですが、どんなお人柄ですか?
深谷 私は彼のサマーコースしか受講していないので、お人柄をそこまで深く知らないのですが、わりとひょうひょうとした人だなと思っていました。あとはとにかくスタイリッシュで、こういう風に歳をとりたいなと思いました。
むしろ、翻訳作業のなかで、彼の人柄を知ったという感じです。この本を読めば、彼の人となりが多少なりとも、うかがい知れるのではないでしょうか。
本書の推薦文を書いてくださったジェームス・フーストン先生から教えてもらったのですが、リングマの家族はナチス占領下のオランダで地下に潜ってレジスタンス運動をしていたとのことです。それを知って、本書にあふれている彼の反骨精神について妙に納得しました。
本書の特徴
——詳しく書いたら専門書並みの厚い本になってしまうところを、簡潔に、わかりやすくまとめられています。過去のさまざまな神学者の意見、世界の共同体形成の多様な取り組みの姿も垣間見ることができます。日本にいると、なかなかわからないことばかりです。
深谷 本書がユニークなのは、抽象的な「教会論」を限りなく排しているところですね。その代わりに、教会内ではこれまでほとんど考慮されてこなかった社会科学的な視点で、しかも一般向けに共同体を見直してみようというわけです。これは西洋キリスト教界のなかでも希有な視点だと思います。日本にいるから、わからないという話ではないと思っています。
——現代人をとりまく文脈をよく理解し、その必要に応えることに関して、教会は社会に遅れをとっているのではないかという危機感も述べられていると思いますが。
深谷 これは日本のキリスト教史とも関係するでしょうが、そういう事態に陥る背景として、教会の使命を福音宣教か社会運動かの二者択一で捉えてしまうという問題があるのではないかと思います。どうしたら教会はそのような不毛な議論から抜け出し、時代や社会にさきがける変革の旗手となれるのか。リングマが指摘するように、聖書やキリスト教史の読み直しがどうしても不可欠だと思います。
——既存の形に不満を抱いてオルタナティブなあり方を求めても、やがてそれも形式化しうる。どんな形であろうと、その中心に何があるかが重要であり問われる、というのが本書の主眼だと思います。
深谷 この本が翻訳に値すると思ったのも、まさにその点です。リングマがリージェントの講義でも言っていた印象的な問いがあります。教会は“center-centered”(中心とすべきを中心とした)になっているか “marginal-centered”(周辺的なことを中心とした)になっているか、というものです。私たちは前者を自認していながら、ふと気づけば後者になっていることが多い。いや気づかないことのほうが多いでしょう。それを自覚することってじつはすごい難しいし、痛みを伴うことだと思います。「預言者」が迫害されるのもそのためでしょう。人間がつくるいかなる集団も正統化・正当化しえない、と常に確認しつづけるしかないんでしょうけれども、これがなかなか……。
本書で使われている用語について
——いくつかのキーワードが出てきますが、そのなかからいくつか短く説明していただけませんか。
教会員の疎外とは、教会組織の自己存続が優先され、肝心のメンバーの課題や、すでにそれぞれがしている「ミニストリー」が置き去りにされてしまうという本末転倒(すでにパウロがさんざん手紙で怒っていることですが)。
庇護体制とは、「あなたは私の庇護が必要だ」という大義のもと、人々に権力と責任を付与せず、いつまでも従属させておこうとする体制。教会は霊的にもこうした力関係を迫るので、なおさらやっかい。
意図的共同体——Intentional communityという用語そのまま辞書的に訳しているのですが、そもそも共同体は意図的に形成するものではないのかと思われるかもしれません。たしかにそうなのですが、やはり気づけばそうでなくなってしまうのが人間集団の性質かもしれません。まさにパウロが第一コリント書、とくに12章で教会共同体を「からだ」にたとえて提起している問題です。実際の、とくに経済面も含む日常生活において、「一つのからだ」であるか、と自覚的に、定期的に確認し合うことを前提にした共同体と言えばよいでしょうか。
真のチャレンジとは
——さて、深谷さんは東日本大震災の復興支援の働きもされたそうですね。そこから見えた、地域に開かれた教会のあり方など教えられたことがありましたら、少しお話ください。
深谷 こちら側の都合である狭義の「宣教」を優先させてはいけない、ということでしょうか。地域の町内会や福祉行政、NPOなどとも連携して、まず教会が置かれている地域の現状と必要をよく理解することが決定的に大事だと思いました。そもそも教会員も地域に暮らす人々ですから、その人たちにまず聞くだけでもぜんぜん違うでしょう。その上で、地域の人々と信頼関係を築くことができれば、自ずと使命は見えてくるはずです。ですが、真のチャレンジは、そこに留まらず、その使命のために自らのあり方を「具体的に」変える信仰を持てるかどうか。それがまさにリングマの提起するチャレンジでもあるかと思います。
今日は、貴重なお話し、ありがとうございました。
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インターネット環境が普及してから初めての大会かもしれない。とくに近年、Facebookを通しての交流は目覚ましく、私にとって、今回の大会の背景にそれがある。
登場する人についてはアルファベットで記した。

(1)朝、神戸行きのために自宅から東京駅へ。準備が珍しく早く済んだので家を早めに出る。余裕。
(2)朝早かったため、いつもの洗濯物干しは免除。よりゆとりがあったのだろう。妻にはすまない。
(3)電車内でNT.ラ.イト次回作、全15章のうち、第15章の一回目校閲(編集)開始。昨日プリンターが故障したが、他の機械を貸してもらって難を逃れた。ありがとう。
(4)東京駅のホームで、待ち合わせたSさんと予定どおり出会えた。弁当も買う。たくさん種類があって困ったが、定番らしそうな「新幹線弁当」にした。
(5)新神戸駅着。乗り換え、神戸三宮駅で降りて予約ホテルにチェックイン。その後、二人で会場まで行くポートライナー三宮駅を探し周る。ライナーの窓越しに海の側から眺めた神戸が思ったより大都会で感動した。
(6)神戸の会場で、初めて会ったFB上の知り合いたちとすぐ打ち解けた。もう前から顔見しりみたい。リアルに会えて楽しい。
(7)ブース展示の皆さんとも会話。いろいろ働きを知れて、資料ももらえて、見聞が広まる。
(8)今日から始まったセミナー会場は大きく、素晴らしい。必要経費数千万のうち、参加費で3割強。献金で7割弱を集めたいとする主催者の挨拶。その無茶振りに驚く。過去、そうやって実現したきたのだろう。さすが。
(9)一日の研修を終え、Oさん、Iさん、他の牧師さん方と数人と連れだち三宮近くの喫茶店へ。Iさんとは独占状態でライトの翻訳体験について話せ、楽しかった。
(10)予約したホテルは、新幹線とセットの割引価格。同行者とのツイン部屋。欧州風のレトロな作りで、イタリア中世の館みたい。落ち着ける。
(おまけ)代理店からメール受信。期待していたライトの次の本の版権が取れそうとの報。バンザイ。静かに喜びを噛みしめながら眠りにつく。

(1)朝食が、和洋中とメニュー豊富。色どりが素晴らしい。初回で食べ過ぎ。次回から落ち着いていこう。
(2)ポートライナーの朝のラッシュは聞いていたほどでなく(東京に慣れているから?)、時間に間に合ってよかった。
(3)クリス・ライト氏のメッセージは福音について。実によかった。ほとんどN.T.ライトとそっくりではないか?
(4)ランチは年代別食事会という趣向。意外な組み合わせで楽しく、話して共感できることが多かった。
(5)分科会①神学ディベート、「ライトの義認論」。それなりのやりとりになり、よかった。現状と課題が見えた気がする。
(6)分科会②で、Yさんの「東方教会入門」を聞けた。新しい知見もあり、出てよかった。
(7)夜、三宮の繁華街で「FBオフ会」。ライト支持派(というか、学びたい人)が中心に集まる。K、S、I、Y、A、O、私、その他不明の人を含め12〜3人。お顔だけ知るSさんと親しく話せてよかった。
(8)ホテルへの帰り。道を1つ間違えた。周りはまるで新宿歌舞伎町で妖しげ。しばらく行って迷い、立ち止まったら、先ほどのオフ会のKさんが後ろから声をかけてくださった。彼のホテルが近くらしい。苦笑いして別れて帰宿。
(9)同行のSさんは先に帰宿。彼は別行動をし、関西方面の知り合いと面談してきた。私も知る人たちの近況を聞けてよかつた。
(10)昨晩は初日でなかなか寝付けなかったが、今日はグッスリ眠れそうだ。

(1)朝食をSさんと一緒に楽しむ。
(2)会議場への乗り物、ポートライナーは今朝もそれほど混んでなかった。
(3)クリス・ライト氏の3回目説教。エレミヤ書から。励ましの内容でとてもよかつた。
(4)ランチタイム。支給の弁当。今日は同じ神奈川県に住むグループごとに大部屋で集まり、その中で流れで小グループに分かれた。そこでN.T.ライトについての質問が出て、私がいろいろ説明したら、大変喜んでもらえた。
(5)午後二時から神学の部の分科会。「NPP」を選ぶ。参加者にはまだ初心者も多い(私も初心者だが)のか、入門の入門で終わりそうな感じだ。最後のまとめで、ライトに賛同しない人の意見も聞けて貴重だつた。
(6)休憩時間。FBで知りあいのM牧師さん、それに、私が大変お世話になった牧師の後任牧師さんと話すことができた。初対面だった。またFBで知る論客のKさんとも初めて。妻の入院について心配いただいく。Kさんの奥さんと妻は、かつて同じ教会だったのだ。へえー。
(7)あるワークスショップに参加。私にとっては期待外れだった。ただ講師には大いに好感を持った。
(8)帰り。私が前に所属した教会の知り合いであるOさんと久しぶりに会う。同行のSさんと三人で乗り物に。会話がはずんだ。
(9)阪急六甲駅近くの教会堂まで移動。立派なパイプオルガンとクリス・ライトさんの説教が聴ける。疲れたせいか私は私は寝てしまった(苦笑)。集会後、なんと尊敬する先輩夫妻とばつたり。互いに再会を喜ぶ。少し話せてよかつた。
(10)夜、宿で同行のSさんと学んだことの分かち合いができた。二人旅のいいところだ。

(1)重くなった荷物を持って宿から退出。ポートアイランドに移動。乗物も空いていて、会場に充分間に合った。
(2)クリス・ライト師の説教。最後にふさわしく実によかつた。キリスト者の一致、教会の一致について。とても重要だ。最後であることもあるのか、いちばん記憶に残りそう。
(3)毎回だが、説教が終わると机ごとの感想の分かち合い。四日間同じメンバーだった。互いの個性、背景の違いが出て面白かった。プログラムでは「コイノニア」と名づけられた時間。
(4)ふだんは外国に住んでいる先輩のDさんが参加していたことが分かった。同じ会場なのに部屋がバカでかく、しかも大人数で出合うのも大変だ。同じ部屋なのにスマホで連絡をとる有様。結局、5分だけしか話せなかったが、励ましてもらった。
(5)Kさんの提案で臨時ランチ会。Aさん、Iさん、Nさん、Oさん、私と、Kさんの車で移動。新神戸駅近くで、見上げるほどの針葉樹が庭にある店「サンマルク」。Kさんは送迎で大変。私はランチ途中で新神戸駅まで送ってもらっった。何から何まで恐縮。ありがとうございます。
(6)サンマルクで隣に座ったIさんは、大会プロジェクトの1つを担当なさったが、そのテーマの素晴らしさ、重要さを称賛した。ほんとにそう思ったからだ。喜んでもらえた。
(7)駅は20分前に着き、時間の余裕あり。家族に土産を買えてよかつた。手ぶらだったら子どもたちから大ひんしゅくだ。
(8)改札に入ったら、セミナーの机グループ「コイノニア」で一緒だった牧師さんとホームで再会。連れの方が私も関係する方の幼友達だと知って面白かった。同教団の大御所N先生の面白い話も聴けた。
(9)新幹線は大変混んでいた。指定席でなかったらどうなっていたことか。同行のSさんと静かに落ち着いて過ごせた。疲れも取れそうだ。
(10)東京まで割引切符だったが、家に近い新横浜で無事降りることができた。今回は四日間と長かったが、収穫も多く、また無事帰れたことに感謝した。とてもよい大会だったので、たとえば五輪のように4年ごとにあってもいいいと思った。しかし、大規模なので準備する主催者が大変。やはり7年ごとになるらしい。ヨベル年に倣ったんだろうね。
おしまい。
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