創造論と進化論は両立可能(5)

 2010-04-28
 今回でこのシリーズは最後です。

  米国の福音派ロビイストで、前全米福音連盟(NAE、本部ワシントン)の副会長だったサイジック氏は、進化論との関係についてこう述べています。

記事の全文はこちらオバマを支持する米福音派ロビーの論理

「聖書と進化論の関係について言えば、(米国の)福音派の大半は進化論に同意しない。だが、聖書を科学として見ているわけではない。バランスをとって両者を見るべきだ」

 彼が言うように、福音派の大半(英語のニュアンスはなんだろう)かそう思っているかは分かりませんが、「米国の福音派」の風潮としては、そういう流れがあるようです。ヨーロッパでは福音派であっても、あまり論争の種になっていないようです。アメリカ特有の文化問題らしいのです。

 日本の福音派は米国福音派の影響下にあります。そして、この分野での信徒向けの分かりやすい、基準となる文献が日本にほとんどないので困ってしまいます。たとえあったとしても、詳しすぎたり、特定の立場に立つ人の文書だったり(それが明示されていればいいのですが)、翻訳がわかりにくかったりで、私は過去、とても最後まで読めたものではなかった。

「創造論」に立つ人に大きく二種類ある
 神が宇宙を創造したという信仰を持つキリスト者の中に、「若い地球論」と「古い地球論」というものがあります。聖書の創世記を文字どおり受け止め、1日24時間6日間で完成したという信条に立つ人たちが、「若い地球論者」(約6000年前に宇宙が創造されたという思想)です。

 何十億年もかけて神は地球を創造したという信仰に立つ創造論者の思想が「古い地球論」。どちらも聖書を神の言葉と信じ、どちらも神が宇宙を創造したと信じています。こちらの立場に立つ人が、思想、世界観でなく、科学としての「進化」という用語を使うことがあります。

「いや、聖書を信じているなら、若い地球論以外にない。けしからん」と感情的に怒る人、排他的な考え方をする人は、社会思想、イデオロギーに飲み込まれていると見ることができるかも知れません。

 前にも書きましたが、両者の「進化」の意味が異なるのですから。

 サイジック氏は、
「私は『創世記』における『1日』が文字通りに24時間だとは思わない。『1日』は実際の1000年かもしれない」
と述べています。

 つまり、「古い地球論」。彼の主旨は、厳密に1000年と考えているといより、聖書に出てくる記述、「(神にとっては)一日が千日」を引いて意見を述べているわけです。

「公立の学校で進化論を教えることにも反対しない。聖書も教えるべきだが、科学ではなく文学として教えるべきだ。選択科目として学べば、『教会と国家の分離原則』には反しない」

という彼の意見は、記事にあるように米国の背景で述べています。日本の公立学校で「進化論」を教えるのは、ご存知のとおり規定事実。
 ただし、そこで科学用語としての「進化」をきちんと意識して教えているかは、大いに問題があると思います。第一、社会思想としての「進化」の概念がすでに一般に強固に築かれ、浸透しているからです。教師のなかに唯物史観論者もいるでしょうし。

聖書は「文学」か?
 ここで、「文学として教える」という翻訳表現は、サイジック氏の意図ではないのではないでしょうか。日本語で「文学」というと、小説、詩、おとぎ話、古文、漢文というイメージが即座に浮かぶでしょう。聖書の中に「文学」はありますが、聖書すべてを指して「文学」と名づけるのは正確でないと思います。

 ここでたぶんサイジック氏が言った「Lliterature」とは、「文書学、文献学」という意味でしょう。英語圏での 科目名「literature」と、日本語の科目名「文学」ではニュアンスが異なります。

 ということで、日本では「若い地球論者」の声、文書ばかりが配布されているので、一般クリスチャンは、他の考え方に平等に触れることができません。また出版社も思い切って「古い地球論」に立つ出版物を発行するところはまれです。
(あまり売れなく、資金もない。それに比べ「若い地球論者」の資金はどこから? まさか米国から?)

まとめ
 ということで私は、「新しい」「古い」地球論の考え方、両方の信条が現状ではあるために、その中で暮らす者としては、どちらの側の主張にも耳を傾け、文献も読めることが望ましいのではないでしょうか。その中で、自分の立場を自分で決めればよい。だだし、キリスト者同士がそのことで互いに責めず、分裂せず、互いの思想、信条を認め合えるといいと思います。

 聖書が、イエス・キリストが、人類に伝えんとしている福音の本質は、そうした周辺的な信条が「政治イデオロギー」化し、押しつけたり、排他的になったりしない限り、甚大な影響を受けることはないと思われます。

 しかしそうではなく、他の立場を認めない排他性をもたらす推進運動となったとき、先行きが少し心配になります。アメリカでは、そういうことが起こることもめずらしくないようです。(では日本では?)
 サイジック氏の今後の活躍を期待するものです。
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創造論と進化論は両立可能(4)

 2010-04-20
 「聖書と進化論は両立可能」----これは、朝日新聞に付録している月二回配布の「GLOVE紙」がサイジック氏のインタビュー記事につけた見出しだ。

記事の全文はこちら
オバマを支持する米福音派ロビーの論理

 これを論じるにあたり、とてもやっかいなことは、「進化」「進化論」という用語が、歴史的にかなり誤解され、曲解され、広く社会一般に浸透、あらゆる場面に適用されていることだ。

 だから、議論の土俵に上がる前に、「進化」という用語の概念の共通認識を抱き、同じスタートラインにつく作業は、とてつもなく困難だ。本ブログでそれができるとはもちろん思わないし、私の能力にもあまる。

「進化」って何のこと?
「進化」というこの言葉(翻訳語)は、今、日本でいろんな場面で使われ、最近、ますますその適用範囲を広げているように感じる。「発展」「進歩」「進展」「向上」「変態(昆虫などの)」「技術の進歩、改良」などの意味で、新聞の見出しにも使われたり、テレビ、雑誌などで広報されている。

 不思議なのは、ふた昔くらい前に盛んにマスコミで使用さていた「進歩」という言葉、概念が、いまや絶滅しかけ、「進化」という用語に置き換えられているように思えることである。
 人間中心主義に乗っかった20世紀に花開いた「進歩思想」(リベラリズム)が、いまやあらゆる分野でバッシングされているからだろう。

 「進化」という概念(観念)は、科学、社会学、思想、イデオロギーと歴史的にからんでいるが、通常はそれを意識せずに使われていると思われる。

 小社で今月発売した『心の刷新を求めて』で著者ダラス・ウィラードはこう述べている。
「(概念)は、時間をかけて形成され、社会的に共有される通念です。信条を含むこともありますが、信条以上のものなので、信条なしでも存在し得ます。人は概念を用いて物事について考えたり、解釈したりします。それは私たちの間に非常に深く浸透しており、人生について考え、取り組むに当たって不可欠なものです。その存在に気づかず、いつどうのように機能しているか理解していないこともよくあります。私たちの抱く思想は、文化が作り出したものです。成長過程の中でごく幼いころから受けた教育や期待、また家族や地域社会の中で見てきた行動様式を通して形作られていきます」(P.168)


ポケモンは「進化」の伝道師
 さらに、日本語の「進化」は、「(前に)進む」「化ける、変化する」という漢字が使われ、視覚的にも概念形成に影響しているだろう。テレビアニメで有名な『ポケモン』で使用される「進化」は、より上の段階に「変貌、変身、変態」することで、日々幼児たちが頻繁に耳にし、不可避的にその「概念」を形成している。

 この「進化」という用語が、歴史的に大きな混乱を招いているのではと私は思っているので、サイジック氏のインタビューに出てくる「創造論」と「進化論」を論じるに当たって、多少、「意味概念の形成」に触れざるを得ない。

 進化「Evolution」の語源は、何だろうか。そして、歴史的にどう変遷してきたのだろうか。「より強い、より良いものへの変化、進歩・発展」という「概念」を持っていると思われる、現代日本語の「進化」という理念はあったのだろうか?

 英英辞典を見ると、語源は物体の運動に関係しているとある。軍隊の部隊を再編成する動き、展開、変遷、動き。それが現代英語では、「折りたたんだものを広げる、展開する」という連想で、「発展、成長、発育、発達、進化」という意味で使われているという。

「社会進化論」の概念の日本への浸透
 日本では通常、「より高次元のものに発展、進歩、変異」という意味で使われている。「ポケモン」のモンスターにおける変身は「変態(メタモルフォーゼ 例:昆虫が卵→毛虫→サナギ→蝶と変身する)」という用語が適切だと思われるのに、いまの子供たちは「進化」という用語で表している。それは、アニメを制作した大人たち(生物学において素人)の概念を代表している。(「変態」が、「異常な性的嗜好」の俗語として普及したために、「進化」を使わざるを得ないのかもしれない)

 ただ、それを支える歴史的背景が日本にはある。明治から昭和にかけて、もともと日本語になかった「進化」(翻訳語)の概念が、社会・共産主義、自由主義(リベラリズム)、科学万能主義、唯物論、進歩史観、発展史観の色を加えながら人々を啓蒙したため、そうしたイメージが深く浸透してしまった。これは正確には、「社会進化論」に分類されるイデオロギーの概念だ。

 つまり、日本人が通常用いている「進化」の概念は、「社会進化論の概念」で、厳密な生物科学の用語ではなく、社会観(世界観)、社会思想の一つとなっている。このへんはウィキペディア「社会進化論」に詳しい。(興味がある方は参照のこと)
ウィキペディアより引用
「社会進化論(しゃかいしんかろん、Social Darwinism)は、目的論的自然観とチャールズ・ダーウィンの進化論にヒントを得て(曲解して)生じた社会理論の一種である。その社会観によれば、自然が一定の仕方で変化するように社会はある理想的な状態へと進化していくものであり、現在の社会はその途上にある、とされる。社会ダーウィニズムとも呼ばれる」

 しかもその思想は、かつての進化論者ラマルクが唱えたもので、当初から問題が多く、科学的に不十分とされてきた。
 ただその後、「社会進化論思想」も歴史をへて変質していく。以下のようだ。
「社会進化論はスペンサーの自由主義的なものから変質し、適者生存・優勝劣敗という発想から強者の論理となり、帝国主義国による侵略や植民地化を正当化する論理になったとされる。その一方で、共産主義もまた社会進化論のパラダイムに則っていた。現にカール・マルクスはダーウィンに進化論が唯物史観の着想に寄与したとして資本論の第一巻を献本している」

 キリスト者を含め、科学者(専門家)でない一般人が使用している「進化」は、この「社会進化論」(社会学的思想の一つ)の概念を、あまり深く考えずに「生物学」に当てはめて理解し、論争しているように思えてならない。

かみ合わない不毛な論争かも
 このへんで糸がからまって、「聖書は誤りなき神の言葉ではないのか」「思考停止、偏狭な反知性主義の原理主義(根本主義)ではないか」と決着のつきそうもない論争が、科学的方法論について素人のクリスチャン大衆を巻き込みながら、創造科学論者(ほとんど科学者でない宗教指導者)と、有神論的進化論者(聖書信仰をもった科学者)のあいだで(現在のところ静かに)繰り広げられているように思える。

(まあ、こうした私の理解も、私なりの理解に過ぎないと言えるのだが。 なかなか、サイジック氏の発言にたどりつかず、すみません。)

期せずして、『心の刷新を求めて』の訳者、はちこさんが、ご自身のブログで最近のて米国の進化論問題を掲載中です。
「根本主義」と神のことば
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創造論と進化論は両立可能(3)

 2010-04-13
 大枠として共和党支持の米国福音派のリーダーの一人、サイジック氏が、NAEの幹部を辞めた理由の一つは、予備選で民主党のオバマ氏に投票したと彼が認めたからだという。

 なんか最近の日本相撲協会の理事選のことが思い浮かんだ。前もって選出する人を根回しで決めておいて、あとは儀式的に投票するやつです。(投票の意味ないじゃん!)
 今回は、単独で立候補した元貴乃花への投票を明らかにした理事が、理事を辞める(させられる?)との報道があった。しかし、世論からの非難があったためか(事実は知らない)、その直後に撤回することが起きた。

なぜオバマ氏を支持したか
 記事によると、オバマ氏の「中絶」「同性婚」の立場を支持したからではなく、オバマ氏が本物のキリスト者であり、政策全体について聞いてみて、賛同できない面があるとはいえ、大統領になる資質を充分備えていると判断したからだという。

 核兵器拡散に反対するオバマ氏を支持したのは、「リベラル」だからではなく、人類全体の危機回避のために、彼の思想に同意したからだという。もっともだと思う。

ブッシュ政策の間違いを指摘
 サイジック氏は、過去二回、ブッシュ大統領を支持したが、彼の個人的な意見として、

 ・(ブッシュ氏は)福音派としての資質を満たしていなかった。
 ・福音派がブッシュ氏と組んで「カーボーイ外交(善悪を決めつけて、
  暴力で悪人をやっつける)」を進めたという評判を世界に広めてしまった。
 ・イラク攻撃は間違っていた。
 ・他宗教についてどう対処すべきか理解がなく、軽視した。

 これらの指摘は、日本の福音派のほとんどの人が同意できると思う。

イスラエル問題
 もう一つ重要な問題として、イスラエル・パレスティナ問題の政治的立場があるが、米国の福音派の中の「クリスチャン・シオニスト(ユダヤ民族主義)」の活動は、和平を阻害している面があるとサイジック氏は言う。

 この問題について日本の福音派にもいくつかの声、立場があるが、だいたいは大きな声になっていなく、結局、曖昧なままである。声をあげると対立を生みだす恐れがあるからだろうか。オピニオンリーダーはいるようだが、まだ教会全般に届く明瞭な声を発しているとは思えない。
 日本の福音派の教団が、それこそ無数にある離れ島のように、つかず離れずに(ある教団は排他的に)分派していることも、声の届きにくい原因の一つだろう。また過去、中東に関係した「終末論」をめぐって、教会が大きく分裂した歴史的痛手があるので、タブーとなっているのだろうか。

 ただ、聖書の預言をそのまま原理主義的に現実に当てはめるオピニオンリーダーはいるので(海外から講師もやってくるし、国内にもいる)、「クリスチャン・シオニスト」かもしれない声だけが大きく響いているように思える。(私はユダヤ民族を尊敬しているが、「非」シオニスト。シオニストにも極右~穏健と、幅があると思う。)
 もちろん、思想は自由でいいのだが、偏ることなく、多様な意見があることを私たちは知りたいし、情報提供される必要がある。
 サイジック氏は、今築きつつある新組織で、もっと中立的な立場を取りたいという。

 この辺の啓蒙活動に大いに期待したい。ただ日本のメディアは偏り(知識不足)があるし、情報も限られ、判断も難しい。この問題についての彼の活動は、今後注目されるだろう。

 (このへんは日本の一般マスコミはあまり取り上げないと思う。米国の国策と、政治勢力となった福音派を結びつけて批判するほうが、対岸の火事のようなニュースになるし、理解しやすい(「一神教だから」とか、「キリスト教原理主義」とかのレッテルを貼って)。また、米国の複雑なキリスト教事情や用語に詳しい記者も、残念ながら日本のメジャー・メディアにほとんどいない。)

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オバマを支持する米福音派ロビーの論理
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創造論と進化論は両立可能(2)

 2010-04-08
 続いてリチャード・サイジック氏は、「福音派は、いわゆる『宗教右派』と同義語ではない」と言う。声を大きくして私も言いたい。「そのとおり!」と。

 日本の一般の新聞、テレビ、一般出版物の多く、さらには日本キリスト教団系の指導者、メディアの理解も、同義語として扱っていることがまだまだ多い。これは困る。現実はもっと複雑だ。
 
福音派内の政治的視点からの区分け
 「全人口の25~30%といわれる米福音派のうち、<伝統主義者>は約4割で、政治への関与が強い宗教右派はこの中に含まれる。別の約4割は<中道主義者>で、残りの2割が<近代主義者>といった具合に分けられる」と新聞には訳されいてる。

 しかし、この<伝統主義者><中道主義者><近代主義者>とは何か? これも翻訳が変だと思う。これでは理解しにくい。頭の中で修正して読まなくてはならない。20世紀の<共産主義者><社会主義者><実存主義者>などのような思想的な「主義者」が、米国のキリスト教会にいて、自称しているわけではないだろう。これは、「伝統派(右派を含む)」「中道派」「近代派(左派を含む)」で充分。福音派の中でも思想傾向、政治的立場の違う人々がいるということだ。(「近代派」はぴんとこないが、原語は何だろうか?)

 日本の一般マスコミで政治的右翼の宗教カルトのように使用され(その機関誌が『百万人の福音』とされたり。汗)、ブッシュ政権を支持したとされる「福音派」とは、この「伝統派」の中に含まれる政治指向の強いグループが該当する。さらには「伝統派」の中にも、極右から心情右派まで幅があると思う。そして、それに影響を受ける形で、次の「中道派」がいる。

 「近代派」は、社会的福音派と呼ばれる、ジム・ウォリス氏などの活動家が含まれるのではないか。これには非暴力、兵役拒否、平和主義者が含まれるだろう。

 サイジック氏は、「テーマによって、<中道>だったり <伝統>だったりする」という。そして、代々の共和党大統領とその支持者は、福音派を何とか自分たちのグループにしようと、「中絶反対」「同性愛、同性結婚反対」のスローガンをあげて、票の取り組みを行ってきた。そして、サイジック氏は、「福音派の票を共和党に与えたことで、最終的に福音派がどこまで恩恵を受けたのか、個人的には疑問に思う」とさえ言う。世界的に見ても、そのとおりではないか。福音派の評判を落とした。

同性婚とシビル・ユニオンの違い
 全米福音派連盟(NAE、本部ワシントン)の副会長を辞めたきっかけをサイジック氏は書いている。「ラジオ番組で『同性カップルに結婚と同様の法的権利を与える シビル・ユニオン(同性の同居?)』なら支持できると発言したことだ」と。決して同性婚を支持したのではなく、同性カップルに法律的な不利益を与える差別に同意しない、と言ったのだ。

 福音派であって、「同性愛者婚(ゲイ・マリッジ)」は支持しないが、異なる性的指向を持つ人が、「法の下の平等」を持つべきだとした。ただこれが、NAEの右翼的幹部から嫌われたわけだ。しかし、

 「何百万人もの米国人にすれば、異論はないだろう。そのうちの多くは、福音派のキリスト教徒だ」

とサイジック氏は言う。つまり、「福音派指導部の一部の右翼によって、NAEとして政策反対(マスコミ報道される)を決めても、その傘下の多くの福音派信徒は賛成してくれるだろう」ということだ。なるほど、私もそう思う。

「福音派は、共和党という一つの政党にあまりにも従属的な存在になってしまった。我々が新たに目指す福音派組織は、同性婚や中絶の反対といった狭いテーマで なく、全体的なテーマを扱う。そのためには特定の政党支援やイデオロギーから独立すべきだ」という主張は素晴らしい。

立場の異なる人との協力
「福音派ロビイストとして様々な法整備を進めたが、その際、個別の問題では我々と立場を異にする人々と協 力してきた。(略)チベット仏教徒やユダヤ教徒、イスラム教徒らと協力したし、(略)ゲイやレズビアンらと協力した」という彼の立場。

 政策によっては協力はするというありかた、これは大いに支持できるし、世界の現状を見るとき、そうしなければ、「独善」「エゴイスト」「愛がない」「冷血」「無知」と言われてもしかたがないだろう。
 それは、聖書が教える神の国、神の義が世界に拡がることと矛盾しない。

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創造論と進化論は両立可能(1)

 2010-04-02
 最近の朝日新聞に月二回付録としてついてくる「Glove」という読み物がある。
 前回、米国の福音派の動向について、とてもバランスが取れていると思われる記事が載った。

元米国福音同盟の副会長の言葉
 それは長い間、全米福音派同盟(NAE)の副会長を努めたリチャード・サイジック氏の投稿である。この1月に、同志社大学のある研究センターが招いたという。

 彼の主張の一つは、「創造論と進化論は両立する」という立場。NAEといえば、日本で言えば日本福音同盟(JEA)にあたる。ビリー・グラハムやノーマン・V・ピールに影響を受けたボーンアゲイナーだ。現在は、「ニュー・エバンジェリカルズ」という組織の代表をしていて、ロビイストでもある。

 冒頭に彼は、「福音派とは、保守的な信仰理解に立つ米国のプロテスタントで、聖書を本当に神の言葉として信じ、宗教的体験で開始した人のことである」と定義する。これは広く許容される定義だろう。世界的にそのような人が多いのだがら。ただ、「米国のプロテスタント」という点が違いを生むことになってくる。

普通のプロテスタントとは?
 続いて、「普通のプロテスタントは、聖書を神からの言葉とは考えないし、回心体験の必要性を強調しない」とあった。これは「普通の」は誤訳ではないか。この「普通の」は、日本語だと「正常な」とか、「本流の」とか、「正統的な」とか、「おおかたの、ありふれた」といったニュアンスがあると思うが、そうじゃないでしょう。

 「普通」の反対の「普通でない」は、「変な、変わった、特異な」というようなことになってしまう。過去、何百年も続いてきたプロテスタントは、その多くが、「聖書は神の言葉」と信じてきた。20世紀になってから、プロテスタントの一部(ヨーロッパ発祥)が、考え方を変えてきたのだ。しかも、そうした考え方の神学は、神学者アリスター・マググラスも言うように、今や勢力を失ってきて、学問的貢献は優れていても、マイノリティに位置づけられるようになっている。

 だから、続く記事中、「(米国の)全人口の20-30%といわれる福音派」という言葉と矛盾してくる。これだけの割合で、名前のみでない自覚的キリスト者がいるとすれば、「普通でない」ではなく、歴史的、正統的な「普通のプロテスタント」ではないだろうか?
 ただ、いろいろな政治的立場、社会的スタンスにおいて、「米国の」という臭いが加わることになる。

 そうした米国の福音派の政治的立場に、いくつかの流れがあることを(彼もその一つ)、続く記事の中で触れている。それは次回に。

追加:
ネット友達、谷鹿さんが教えてくださった同記事。そう。これです。
オバマを支持する米福音派ロビーの論理
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