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牧師と信徒の霊的成長を求めて(4)

 2009-11-13
 私がたどった教会生活を振り返ることで、共に成長するために 何が必要かを探っています。

牧師先生
 キリスト教会に行くようになってから、「牧師」「宣教師」「伝道師」という人の存在と出会った。そういう職種があることは知っていたが、それまでの私の人生で初めて出会う人たちだった。寺の住職や神社の神官を連想すればいいのだろうか。皆が「先生」と呼んでいるので、自分が育ってきた背景で推量すれば、おのずと自分の位置が決まってくる。皆から尊敬され、あらゆることで指導を仰ぐ、一目おかれている存在であろうか。学校の先生や恩師という位置づけなのだろうか。聖書を教えてもらい、困ったとき、人生を指導してくれる「先生」であるだろうか。

 とにかく西も東も分からない新メンバーである私にとっては、教会で一番の主人、責任者、代表、指導者というのが理解しやすい。柔和で腰の低い、いつもにこやかな方が多いが、接する時間はおもにスーツにネクタイ姿(奉仕中という感じ)なので、気弱だった私は未熟ゆえに簡単には声をかけずらかった。たまに有名な指導者を迎えた場合は、遠慮してなかなか近づけなかった。

教会政治とは何?
 これらは、属する教会が選択している制度とも関係する。「監督制」「長老制」「会衆制」という「教会政治」のスタイルがいくつかあって、それで会衆の中での牧師の位置の目安があるらしい。それは、相当年を経てから理解できるようになった。ただ、こうした制度についての学びや理解の浸透は、私の経験では、教会内でなされることがあまりなかった。たぶん、当たり前だから説明するまでもないのだろう。周りを見ても、自分の属する教会がどういう制度にあるか、あまり意識していないことが多いようだ。

思いやりある指導者
 信徒として若かった当時の私は、指導者に対して、どのような言葉遣いで、どの程度近づいたらよいか、何を期待し、何を期待してはいけないのか、周りを見て見倣うしかなかった。本来なら、「牧師とはどういう存在で、どういう存在でないか」を繰り返し聖書から教えてもらう必要があるのではないか。

 しかし実際は、牧師、牧師夫人の人柄と自分との関係で、だんだんと決まってくるように思われる。日本人独特の、世話になり世話をする程度に応じた「恩義」による関係が私には理解しやすかった。それはそれで日本人にとって居心地がいいのかもしれない。

 そして、ほとんどの牧師、牧師夫人、他の指導者は思いやり深く、キリスト者として成熟している方が多いので、話しやすく親切なのでありがたい。人生のあらゆる出来事や局面でよきアドバイザー、サポーター、理解者として助けてくれる。これは、日本の他の団体であまり見られないことではないか。
 多くの一般日本人が、なぜこうした方々の助けを求めないのか、不思議でならない。
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牧師と信徒の霊的成長を求めて(3)

 2009-10-14
(宗教と名付けられるものに近寄りたいと思わず、教会という場所にもまったく興味がなかったかつての私が、どうやってキリスト教会に加わり、自分にとっての異文化を受け入れ、信仰生活を続けてこられたを書いています。)

 これまでキリスト教会の光の部分は各所で十分述べられているので、光のそばに影があるように、あまり語られることのない部分を、私の歩みに沿って語りたいと思います。それは、信仰的成長の土台と関係してくると思われるからです。本質論ではありません。しかし、一度は教会に足を運んだ人のうち、かなりの人が定着しないという事実があります。聖書や福音に魅力がないのではなく、教会での人間関係への不適応やコミュニケーションの欠如、文化的違い、互いへの理解不足も大きな要因の一つではないかと思っています。しかし、どういうわけか、そのようなことが取り上げられる機会はまれ。なぜ?

 最近あるところで、次の言葉と出会いました。

「人が『当たり前なこととして受け入れ』、説明や考慮さえいらないとみなすことの中に、その文化的特徴が最もはっきりと見られる」(ダラス・ウィラード)。

 当の本人が気づかず、無意識化され、言葉にするまでもない当たり前のことが、案外大きな壁(盲点)になっているかもしれません。

(以下本文)
私の音楽的嗜好の背景
 前回、私は田舎出で、教会音楽になじみにくかった体験を書いたが、70年代当時のロック、ビートルズ、フォークソングを一通り楽しんでいたものの、私が最も大きな影響を受け、高校時代当たりから心から心酔していたのは、バッハ、H・シュッツ、モーツァルト、ブラームス、ベートーベン等のドイツ系クラシック音楽やバロック音楽だった。とくにバッハの器楽曲と宗教音楽は、聖書への道案内となった。しかし、いざ本場のキリスト教会内に加わっても、たとえばバッハのオルガン曲、平均率クラヴィーア曲集、カンタータ、ロ短調ミサ曲等々について語り会える人は皆無だった。今はそれほどでないが、かつて「バッハおたく」だったので、ずいぶんさびしい思いをした。

独特の言葉遣いと人間関係
 人間関係では皆が、とくに年長者が年若い私にていねいに接してくれたのは驚きだった。それまでは、高校で体育会クラブに属し、大学でもサークルに属した私は、一年歳(とし)が違えば先輩とみなし、敬意をもって近づき、慣れ慣れしくしてはいけないのが当然だった。これは外の世界とまったく異なり、温かく迎えてもらったことに感激した。
 教会内では、「兄弟」「姉妹」「お祈りください」「感謝です」「恵まれました」「愛する兄弟姉妹」「お祈りに覚える」「導き」「御旨」「ハレルヤ」といった独特の慣用句、敬虔な表現が数多くあり、新米の私は使いこなせず、皆が私より信仰的に優れた人ばかりに思えた。

 毎回の説教を聴いたり、信仰上の先輩の証しや態度を見たりして多くを受けたが、私の性格にもよるのか、教会の人間関係になじむのに年数を要した。そこには何年も前から築かれた関係や教会特有の行動様式、力関係らしいものがあった。これは人間がいるところなら、どこにでも生じることである。そして、週に一回、日曜の二、三時間しか接触しない人がほとんどだった。お互いの生活がどうであるかを話し合う時間もあまりなかった。知り合いがほとんどいない中、自分はどう振る舞えばよく、どう振る舞ってはいけないのか、なかなか検討がつかなかった。

 カタカナ言葉が多いのにも戸惑った。学校の英語の授業で聞いたことのない用語や用法がたくさんあった。
 「バプテスマ」「デボーション」「リトリート」「クルセード(私には否定的に響く「十字軍」と知って唖然!)」「ミニストリー」「カンファランス」「リバイバル」「ヴィジョン」・・・。
 日本語でもそれはあった。「信仰告白」「使徒信条」「什一献金」「献身(神学校へ行き、牧師になること)」等が、説明もなく当たり前のように使われていた。そこには字面(じづら)からは予測できない、独特な意味があった。最初は何を意味しているかまったくイメージができなかった。日常では、「~とは何であり、何でないか。それはなぜか」ということを議論し、理解を深めようとすることはあまりなかった。ただ、右と左を見て慣習に従っていく。この種のことは数え切れないほどあった。

日曜礼拝厳守
 このことも日本の教会に独特のように思われる。美談としてよく語られた。私の友人は信仰を持って間もないころ、風邪による高熱で顔を赤くし、「ふーふー」言いながら日曜礼拝に出席したことがあったそうだ。そうするものと思い込んでいたのだ。しかしあるとき、同じ教会の外国人宣教師が私用で欠席するのを見て、内心「な~んだ」と納得し、その呪縛から解放されたという。

 日本人は所属意識が強いというか、楽しみに出席することも多いのだが、「出席(顔を出す)しなければ」という非常に強い圧力を感じる。だから、欠席するときは、良心の呵責を感じながら人知れずに欠席するのである。牧師方も、健康を保ったり、家族で過ごしたり、リフレッシュするための長期休養が許されない(病気以外)中で奉仕していた。「教会を軽んじている」と見られるのではという「恐れ」が浸透しているように思う。そんな中で、宣教師家族は、外国人の習慣だからと、一ヶ月ほど休養しても容認されていた。

 昔のことだが、日曜日には試験勉強をせず、夜中の時報を待って勉強を始めるという神学生の話も聞いた。「内村鑑三がそうだったでしょ。それでも成績は抜群だった」と。私的なことを犠牲にし、あらゆる工夫をして日曜礼拝を厳守(出席)することは、いさぎよい(立派)と称える空気があった。武士道に通じるものがあるのだろうか。
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牧師と信徒の霊的成長を求めて(2)

 2009-10-13
前回に続いて、キリスト教界で体験した私の信仰生活の歩みを、つづっています。教会の右も左も分からない戸惑いと、信仰的に未熟なときの自分の視点から正直に書いています。

自分の生きてきた世界との文化的ギャップ
 ジーンズ、Tシャツ、長髪、ビートルズやロック音楽、ヒッピーが話題になり、色彩豊かなサイケデリック調のデザインが若者文化を象徴した70年代。学園紛争や反体制的文化の余波を受けて育った私には、背広とネクタイは、保守的体制派を象徴するものだった。教会の大半を占める年長者たちは皆、地味な背広姿で礼拝に出席していた。『聖歌』『讃美歌』の表紙は、やはり真っ黒で、そういう感覚に慣れていなかった。聖書とあわせ持つと、その黒と金のセンスが何とも抹香臭い。それらは、教会内だけで使用する備品であって、私にとっては教会のドアを出るときに置いてくるものに思えた。

 教会で聞く音楽は、これまた数百年くらい昔のものかと思われる英米の歌謡曲風がほとんどで、当時の自分の感覚に合わない独特のものがあった。クリスチャン向けのフォーク調の賛美歌も普及始めた時期だったが、中には少女趣味的なものがあって閉口した。巷では質の高いシンガー・ソングライターによるフォークソングが全盛で、そのレベルの歴然とした差を感じて居心地が悪かった。

なじむのに時間がかかる賛美歌
 人生に行き詰まり、希望を失いかけていた20代の私は、イエスをキリストと信じ、霊的に生まれ変わり、喜びが生まれ、これからの人生をどう生きてこうかと新たな希望を抱いていたころだった。そんなとき、ある礼拝で、「キリストには代えられません」(聖歌521)という賛美歌を、おじさん、おばさんたちが情緒たっぷりに歌っていたのを初めて聞いて、軽いショックを覚えた。「この世の楽しみ、評判などは空しい、それらを捨て、早く天国に行きたい」という厭世的な曲に思えた。この曲は、とくに人気が高いらしかった。やがて、この曲の良さは分かったが、キリストは「この世に価値はない」とは教えていないし、この曲の趣旨もそこにはないだろう。

 礼拝での歌は、少し物悲しいか、勇ましいものが好まれていた。またある教会では『讃美歌』もよく歌ったが、歌詞はよく分からないものが多かった。「みとの」「みいつ」「みくに」「みたま」「あまつ」「いまわのきわ」「おらせたまえ」「~したもう」「~なり」・・・。それらが私の信仰をどの程度養ったか、自信がない。私は歌詞を追うのがせいいっぱいで、意味を味わう余裕はなかった。教会でも、その意味を振り返ったり、意味の解説をしてもらった経験はなかった。礼拝という儀式の中で、あまり意味を深く考えずに歌い、終わったら頁を閉じて脇に置いて終わりだった。教会でたいそう重視されているらしい曲集だが、自分にとって日常感覚とかけ離れた古文調の歌詞は、会堂以外で自分から好んで歌おうと思ったことはあまりなかった。

賛美歌は、記憶や人生経験と結びついてこそ味わい深い
 今では私も年を重ね、人生をさらに経験し、昔なじめなかった賛美歌、聖歌が示すものの味わいも分かってきた。中には、キリスト教界の歴史的遺産と言える優れたものも多い。たぶん、人生で出会った出来事や記憶と結びついた説明不可能な世界が、そこに築かれてくるのだろう。子どものころから教会で育ったり、ミッションスクールで歌ったりした経験がない私は、慣れるのに時間が必要だったのだと思う。

 今は優れた現代的なワーシップソングも礼拝で歌われるようになり、選択も多様化し、豊かになった。ただ、しゃれた和音やリズムで情感やムードを満足させて終わり、とならないよう気をつけるようになった。一方、私たちは肉体を持っている。創造主は、私たちに霊、心、身体、知性を与えてくださった。それらのすべてを用いて、心からの喜び、五感と感覚を用いて、音楽(歌詞が重要)の喜びに身をゆだね、その感情を神に向けていくことも必要だろう。

 音楽には時代が現れる。古い遺産を大事にし、現代とも遊離せず、そして古い世代も新しい世代も満足できるようなバランスで、心の養いとなる賛美歌を楽しめるといいと願う。
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牧師と信徒の霊的成長を求めて(1)

 2009-10-06
はじめに
 「牧会ジャーナル」6月号(いのちのことば社・ジャーナル編集部発行)の特集「人を育て、共に育つ」に載せた文章に、字数の関係で書き切れなかったことも加え、増補版ということで、これから何回かに分けて掲載いたします。(以下、本文)

私がキリスト教会に加わったとき
 教会における信徒の霊的育成については、それぞれの歴史、慣習、環境の違いがあるので、共通することを述べるのは難しいと思われる。そこで、私が関わったキリスト教会との関係で、いかに助けられたかを短く振り返ることで、私なりに気づいたことを述べてみたい。自分の経験は限られているので、見当違いにならないか恐れている。

 私の出身は関東の田舎で、教会に行くという発想が全くない環境で育った。キリスト者の知り合いは皆無だった。大学で「国際ナビゲーター」という宣教団体と出会い、初めてキリスト者と自称する人と言葉を交わした。そこから聖書を読み始め、イエス・キリストがもたらしてくださった福音を信じることにした。その私が教会へ行くようになったのは、お世話になった人の熱心な勧めと、聖書が教えていることとしてそれを受け止めたからだった。

 以後、教会生活は30年を経過した。いくつか籍は変わったが、その中でCS教師、役員、執事などを経験してきた。30年前と現在では、信徒の育成、環境については、ずいぶん変化があったと思うが、変わらない面もあると思われる。

 教会に行って信仰を持ったのでない私は、日本の教会の特徴や習慣にまったく馴染みがなかった。そのような私が、突然、知らない人ばかりの集団に囲まれることになった。勇気がいった。最近、欧米でキリスト信仰を持った帰国者が増え、日本の教会に馴染めない課題がクローズアップされているが、国内であっても、文化的ギャップが私には感じられた。それは、ある程度しかたがないことだ。

 70年代後半、私の信仰生活初期の教会生活で受けた印象は忘れられない。教会のメンバーは年上ばかりで、同年代の若者はほとんどいなかった。また教会堂内で接した色彩は地味で、使用していた『聖書』の表紙は黒だった。どこで入手したらよいか知らないので、先輩に買ってきてもらって初めて所有した旧新約をおさめた真新しい『聖書』にぎょっとした。黒表紙にタイトルが金文字で打ってあり、頁の縁には何とピカピカの金泥が施してあった! これまで、そのようなデザインの本を目にしたことがなかった。私の趣味でなかった。

 中身はもちろんいいのだが、その外観に我慢しながら何年も持ち歩かねばならないと思うと気が滅入った。せっかく買ってきてくれたものなので文句は言えなかった。金色が早く色褪せることを願いつつ、一般の他の人に見えないように持ち歩いた。
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