ビジョンに含まれる「目的」「イメージ」、付随する「価値」

 2010-10-01
 前の記事が長すぎたため、読者の負担を減らすために分割してみました。

目的
 ビジョンには、「自分たちは何か、存在意義(貢献)、使命(ミッション)」、そして「何を」「なぜ」が必要になってきます。漠然と夢を抱くだけは、誰でもできるわけですから。何のために召し出されているか、具体的に自分たちの貢献は何かを明確にしていく必要があります。
 これは簡単な作業ではありません。以前記事に書いたベストセラー、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』にもあるように、「顧客は誰か」も深く関係してきます。

価値
 次ぎに、何を大切にするか、どのように活動するかも、とても重要になります。それは貢献の過程で威力を発揮します。
 ある宣教団体では、どんな素晴らしいプロジェクトであろうと、そこに犠牲者が一人でも出そうなときは、プロジェクトを即座に中止するか、いちから見直すそうです。家族、本人の健康、人権、それらは目的達成の犠牲となってはいけません。
 そいういう意味で、動機づけ、判断基準、行動指針、優先順位を知るために、どうしても「何に価値をおくか」を充分共有することがなければ、犠牲者を生み出すおそれがあります。

 これまで、もしある団体に「独裁化、カルト化、独善化、犠牲者」が生じたとしたら、この「価値観」を明瞭にしないでいたことが、多いに関係あるかもしれません。

 目的を達成したいときに、「どのようにそれを生き、どう行動すべきか」を価値は教えます。価値観がはっきりしていないと、どう実践すればいいか分かりません。そうでないと価値観を体現してそうな特定の人物が祭り上げられ、権限の集中を招き、判断、決断のすべてをその人に依存するようになり、残りの人は「物まね」「追従者」になってしまうでしょう。

イメージ
 ビジョンには、イメージを喚起するものが含まれます。どうなって欲しいか、どうなることが終着点かのビジュアライゼーションが、そこになければ永続的な方向性が示されません。「では、次ぎにどうしたらよいか」という、なすべき行動へのイメージが失われ、ビジョン達成というより、目標達成で終わってしまうことになります。この点、M.L.キング牧師のビジョン(夢)は良い例となるでしょう。

 しかし、言葉にしただけではだめです。額縁に飾って終わりになりかねません。私もずっとそうでした。
そうならないためにどうしたらよいか、そのことも『ザ・ビジョン』に親切に書いてあります。よくできた指南書だと思います。そしてキリスト教色も濃い。

まとめ
 集団の存在意義にかかわる目的にコミットしようとする関係者が、その団体が行う社会貢献を通して生き生きとし、賜物や才能を発揮し、創造性を育て、人間としての成熟や生き甲斐を発見し、さらに「目標達成を越えた永続性」をそこに見いだすとき、初めてビジョンは本来の機能を果たすと言えるのでしょう。


 これまでビジョンと言われても、なんか眉唾で捉えていた私がですが、ここまで教えてもらえると、自分の加わっている教会、団体、仕事のビジョンは何か、家族のビジョンは何か(それぞれに、すでに与えられていると思われる)、おそまきながら自分でも明確化し、言語化していきたい気持ちになってきました。

 『ザ・ビジョン』から刺激を受けた、自分なりのまとめでした。 


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「ビジョンだけで充分ですか?」

 2010-09-29
 最近出会ったケン・ランチャード著『ザ・ビジョン』から、ヒントを得て考察し、まとめています。

 ビジョンと言ってもいろいろあります。個人のもの、夫婦のもの、親子で描くもの、組織、会社・・・が思い描くもの。
 ここでは、ある目的のために存在する人々の集まり、組織、共同体のビジョンについて考察しています。

頓挫したビジョン

 M.L.キング牧師と並んで有名なビジョンは、ケネディ大統領の「60年代末までに人間を月に送る」というものです。これは人々を充分に動機付け、視覚的展望も与えました。その時点では、米国に充分な技術がまだなかったのに、大勢の人を動かし、ついに実現させ、世界を熱狂させました。しかし、なぜかそこでストップしてしまった。それ以降の米国の宇宙開発は盛り上がらなくなりました。

 なぜかというと、ビジョンに込められた真の「目的(ミッション)」が達成されてしまったからです。
 それは、「ソ連より早く人を月に送る」ということでした。それが「目的」「動機」「価値観」であったのです。ソ連との競争に勝って、世界に優位を示す国威発揚のための国家プロジェクト。熱狂はピークを過ぎてしまいました。

 それで終わったということは、逆に言えば、それは「真の」ビジョンではなかったことになります。

ビジョンに必要な「目的、価値、イメージ」
 ビジョンがいくら素晴らしくても、そこに「目的」「価値」「イメージ」が示されないと、共同体が抱くビジョンとして充分ではないと著者は言います。しかし、それらがなくても、ビジョンに力があると充分機能することもあり、それをカリスマ性のある指導者が唱えると、なんとなく納得させられてしまうところがあります。とくに、誰にも反論できない大義名分であったり、具体的な数値目標という「目標」が掲げられたりすると、人々を動機づけ、説得できることがあり得ます。
 しかし、真のビジョンは、「数値目標の力」を借りないものである必要があると本書は教えています。ただ、そのビジョンを短くした「スローガン」には「数値目標」(途中にある目印)もあり得るでしょう。

 そこで、個人のカリスマ性に依存しない共同体のビジョンであるためには、文章化することはもちろん、そこに「目的」「動機」「価値観」を反映させる必要があるそうです。

 そのときの私たちの目的は、「神の栄光のために」「全世界に福音を」との究極の願いが中心になってくるでしょうが、これらはあまり遠大、あまりに唱えられ過ぎたこともあるため、(私にとっては)実感が湧きにくい。それはそうであるにしても、その共同体、団体の存在意義がどこにあるかを絞り込まないと、あまりに茫漠としたもので、何にでもなり得ます。

 そこで、それらをなんとか自分(たち)の言葉に変換していく必要があるわけですが、そのためには、かなりの試行錯誤、祈り、聖書からの啓示を求める時間が必要になってくるでしょう。そして自分たちの想いに肉薄する言葉を発見する必要があります。


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ビジョンとは何か

 2010-09-21
 前記事で、「ビジョン」に触れましたが、少し前、『ザ・ビジョン』(ダイアモンド社)といいう本を手にしました。『一分間マネージャー』などの著作で有名な、ケン・ブランチャード 共著によるもので、読みやすいストーリー仕立て。厚さも、読みやすさも手頃。
 創業者の父から事業を受け継いだ二代目社長が、いかに創業者に劣らない会社の活力と社員のやる気を引き出すかという奮闘を描いています。

 そのために、「ビジョン」を明確にし、それを社内に浸透させる流れで物語が進みます。「そんなにうまくいくか?」という疑問はあるにしても、とんとん拍子でことが進みます。この本の狙いは、意味のある、機能する「ビジョン」ということを、分かりやすく読者に伝達することです。
 そこから教えられたことにそって、以下を記述します。

なぜビジョンなのか
 納得できたのは、なぜビジョンを必要とするか。会社が一応、安定し、さらにリーダーシップの交代があるとき、「創業者の影響力、人間力、魅力、カリスマ性に依存しない」活力が求められます。
 「私たちは何であり、この世界でどのような貢献が求められているのか」を全員が共有できるかどうかが問題になってくるわけです。
 個人の影響力から脱却し、いかに組織を有機的に発展させ、潜在能力を発揮させ、個々の構成員に、生きがい、使命を与えるために、「ビジョン」が必要になってくるということです。

 これに対し、ある強烈な個人が「幻(ビジョン)」「預言」「夢」「啓示」をかかげ、「俺についてこい」式に組織(教会)をひっぱっていくことがあります。そこには指導者の願望の実現、独裁、メンバーの利用が入りこむ余地があります。この点は、村上牧師のブログ記事が興味深い考察を深めています。「村上牧師ブログ 啓示」

 しかし、本当のビジョンとは、個人の指導力やカリスマ、個人の自己実現、煽動に依存しない、「キリストの民(共同体)が抱く夢であり、幻であり、展望」なのです。指導者はそれを代弁しているに過ぎません。

ビジョンとは何か
 ヴィジョンとは、言葉からも分かるように、かなり視覚的なものであることが分かります。これは聖書の黙示録にふんだんに散りばめられていて(1章、21章など)「聞いた」「見た」など、非常に視覚的な記述がいっぱいです。

 本書では、歴史を変えた有名なヴィジョン、世界を動かしたビジョンとして、M.L.キング牧師、ケネディ大統領の宣言を取り上げています。

 「仮に困難が待ち受けていようとも私には夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした、ひとつの夢です。私には夢がある。 「万人は生まれながらにして平等である。これが自明の理であることをここに保証する」、この国家の基本理念(Creed)を真の意味によって実現する日が来るという夢が。(以下、映像では少し欠けがある様子)
 私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。
 私には夢がある。いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。
 私には夢がある。 差別主義者がはびこるアラバマ、知事は口を開けば州権優位、実施拒否で忙しい、そんなアラバマにもいつかきっと、幼い黒人の少年少女が幼い白人の少年少女と手と手を取り合って兄弟のように仲睦まじく暮らしていける日が来るという夢が」→引用先 全文 演説映像16分


 今でも身体に震えがきそうな、なんと壮大で、感動的な「ビジョン」でしょうか!

 ビジョンとは、未来に実現するだろう風景が、あたかも現在の私たちの目の前で、リアルに展開して見えるかのような展望のこと。私たちはそれに心の奥底から感動し、動機づけられ、何らかのアクションを呼び起こさずにおれない。

ビジョンを短い言葉で表したものが「スローガン(標語)」
 この風景、将来への見通しを、短い言葉で表したものが「スローガン」です。そこで、数値的なものを上げることが多いですが、それは、その先に見える風景を含むものであることが大事です。
 数値達成に人生をかけたい人は、途中で、精神的、霊的枯渇を招くでしょう。

 「1000人教会」「この地域に10の教会を」という数値目標スローガンは大きなチャレンジで、勇気を与えますが、「それでどうしたいのか、それがどうなって欲しいのか」がなければ、「魂」が脱落します。単に10個の教会堂(入れ物)を建てて満足という意味ではないでしょう。その「魂」が脱落していないものが、「単なるスローガンに終わらないビジョン」と言われるもの。

 その「数値目標」は、富士の頂上(ビジョン)に到達しようとするときの、五合目に相当する目印。「単にスローガンに終わらないビジョン」であるためには、ふもとから眺めた五合目のかなたに、頂上が重なって見える必要があります。
 そのときはじめて、数字は人を動かすものになります。

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近年、出色の現代教会論

 2010-09-17
感動の教会論
 しばらく前に読んで大変感心、感動した「現代教会論」のブログ記事があります。といっても、私にそんな評価ができるほどの権威も見識もなく、いくつかの教会生活を続けて「~十年」という単なる信徒に過ぎません。あくまで、「私がそう思う」というだけの話ですが。

 私が「抜群」「出色」と思った、「近未来のあるべき教会の姿の一つ」を紹介くださったのは、このブログもリンクを張っている「小さな命を守る会」の水谷牧師です。
 
 最下段にリンクを張った二つの記事をお読みください。また、それぞれの記事には他の記事にリングがあり、それらを含めるとかなり量ですが、少なくても「牧師と信徒これが見本かも(1)(2)(3)」は読んだほうがいいと思います。

 これを読んで私はさっそく、「リバイバル・ジャパン」誌の取材記事が載っている9月15日号を買いに走りました。(現在、ネットで全文読めてしまいますが。) リバシンさん、これらを記事にしてくださってありがとう。

言葉の迷宮 
 そして、「ふむ、ふむ」と思わせる気づきがありました。それはおもに、「ビジョン(展望、幻、夢)」「コアバリュー(価値観)」「共有」「スローガン」「使命(ミッション)」「目的」「目標」「計画」「方策(戦略)」などが、有機的に機能しているのかもしれないという点です。

 ただ、それらの定義について、なかなか教会内で論じられることないので、キリスト者共同体の間でも共通認識がないようで、使用方法が混乱、あるいは曖昧に思えてなりません。だから、こうした話題は、分かるようで、なかなか明瞭には分からない。

 大事だとは分かるのですが(「目的主導の教会」という言葉もよく聞きます)、各自、さまざまな定義、感覚、主観で使っている模様なので、何を指して言っているんだか不明瞭なまま話題が進みます。ですから、議論も不毛に終わる気がしてなりません。きっと「外国から入ってきた用語、概念」だからなんでしょうね。

「ビジョン」てなんですか?
 「あなたのビジョンはなんですか?」「あなたの教会のビジョンは?」と、ときどき話題になりますが、これって、なんなのでしょう? 何を指して「ビジョン」と言うのでしょう。なんで日本語でないのでしょう? 現代経営学の手法でしょうか? それとも健全なツールでしょうか? 「ビジョン」と「目的」と「価値」と「使命」「ミッション」の関係は? それとも、そんなことごちゃごちゃ言わんと、何となく伝わればいいの? そこに何か異質なものが紛れ込んでしまわないか? 「誰か交通整理して~!!」と叫びたい思いです。

 そういう迷いにあった私は、これらの定義をすっきりまとめてくれたビジネス書と最近、出会いました(ビジネス書に頼らねばならないのですね~)。なので、それを題材に自分のためにも、これらをすっきり整理するため、今後何度かブログ記事を書いてみたいと思います。(と言いながら、スローライフ実践中でして、あくまで希望ですので、あまり期待しないでね。)

小さな命を守る会ブログ
本ブログ紹介の教会が「リバジャパ」に掲載
聖書的リーダーシップについてもう一言


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