私の夢を実現した伯父

 2007-10-21

世の中には驚かされることが多い。
その中には、喜びもたくさんある。

先日、久しぶりに伯父からメールをいただいた。
ネット上に趣味についてのインタビュー記事が「趣味遊遊(リンク有)」というサイトに連載されるので、紹介したいということだった。

伯父は、四年前の2003年の夏に初めてお会いした。というのは、少し遠い親戚に当たり、それまでお会いすることがなかったためだ。父の従兄弟に当たる。

その伯父の趣味が、何と私が若いころから憧れていたチェンバロ製作。(写真:伯父が紹介されているサイトから拝借)

私は大学に入った時、無謀にも、楽器をまったく習ったことがないのに、
創設されたばかりの、当時は珍しかった「バロッック音楽研究会」に入部。
バッハの鍵盤(パイプオルガン、チェンバロ)曲が大好きだったので、
憧れのチェンバロに触れてみたかった。(鍵盤楽器は10-20年習わないとものにならない。)

大学の一年目は、当時、手に入りにくかったチェンバロ(英名:ハープシコード)を、
先輩と製作しようということになった。
結局は、器用な先輩が一人で小型を一台製作して打ち切り。

それから月日は流れ、2003年、初夏。あることから、まだ見ぬ伯父
の趣味について知ることになり興奮。さっそく連絡をとって、
長野にある工房に押し掛けたというしだい。
初めての私達家族を、伯父夫妻は快く歓迎してくださり、楽しい一時を持った。

レオナルド・ダ・ビンチのスケッチが残っている幻の鍵盤楽器(ガイゲンベルク)
を再現して話題になり、外国に招かれて展示もしたそうである。

私はそのとき、小さな出版社を経営していることをお伝えした。
その後、うれしいことに当社の本をお読みいただいたようで、
大変高く評価していただいている。

彼と会った年の秋、私は心の病(軽うつ)を患い、その後二年間の闘病生活を過ごした。
その間、伯父のことは忘れてなかったが、ずっと連絡がとれずにいた。

しかし、今回いただいだメールに、さっそく返事を書いてコンタクトが再開。
この秋、久しぶりに長野の工房に訪ねてみようかと思案中である。

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35年ぶりの再会、そしてもう一つの再会

 2007-01-11
 さて、先週の記事で予告しましたが、この正月に出会った出来事について記します。

 私の実家は北関東にあるのですが、たまに旧知の方と会います。今年は思い切って、高校時代の同級生Hさんに会うことにしました。もっとも、相手が私を覚えているかは不確かなのですが・・。思わぬつながり
 何年も会ったことがなく、音信も交わしたこともないHさんとなぜ会うことになったかというと、妻の学生時代の友人(Sさん)と、同じ教会に集っていることが分かったからです。
 Sさんと妻は、学生時代にキリスト教学生団体で知り合いでした。Sさんは外国留学から帰国後、私と同じ郷里(私の実家から車で30分ほどの距離)に戻り、働いていましたので、私はこれまでにSさん家族とは会っていました。

文化祭での「聖書研究会」の展示
 私が、同じクラスでなかったHさんを覚えていたのは、高校時代の文化祭での記憶です。珍しくも「聖書研究会」の展示があって、そこで会ったのです。当時、聖書も読んだことがない私にとって、とても興味が引かれました。そこでHさんから、解説をしてもらったのです。

「私と同い年で、この田舎でクリスチャンか、珍しいなぁー、変わっているなぁー」と、とても不思議に感じました。たぶん、「かわいそうに」という気持ちもあったかもしれません(笑)。明治時代以降、日本でも割と早くからこの地域には、プロテスタント教会が設立さていたことは後で知りました。内村鑑三、新島襄、海老名弾正、ほかにキリスト教の影響を受けた文化人が多いです。

 そして、なぜかは知りませんが、その当時から私は、Hさんは、ある駅前の「蕎麦家」さんの息子であると聞いていました。ですから、その後、私が信仰を持ってから、ふと、いつかお会いしたいものだと願っていました。それが、妻と出会ったことで展開が開けたのですから、不思議です。

蕎麦家さんでの再会
 こうしたわけで私たち家族は、Sさんにお願いし、Sさんご家族との再会も兼ね、Hさんが経営し、自ら蕎麦を打っている駅前のお店で昼食をとることにしました。3日のことです。冒頭の写真は私が食した手打ち蕎麦のセットです。

 お会いできました! 35年ぶりになる再会でした。しかも彼の打った、おいしい蕎麦をいただきなら、お話しすることができました。
 Hさんはつい最近、長年勤めた仕事を早期退職し、家業を継ぐことにしたそうです。教会に行き始めたのは、小学生のときだったとか。私のことはまったく覚えていませんでした。それに、お話を聞くと、ほかにも同級生にキリスト者がいいるらしい!

 私は高校時代の彼の面影しか知りません。年月が過ぎ、彼の髪には白いものが混じり(お互いさまですがね)、落ち着いた穏やかな人柄が感じられました。名刺代わりに、新刊の拙訳『嘆きは踊りに変わる』をプレゼントできました。

日曜休業の食堂
 Hさんの店は原則として日曜に営業しないそうです。近隣は蕎麦粉の産地ですので、駅前には二、三軒の蕎麦家があります。日曜日は稼ぎ時なので、近隣のお店には感謝されるみたい・・。
 人口の少ない地方都市で、せっかく観光客が来る日曜日が休みとは、経営的に痛いでしょうね~。でも律法的に規則として考えるのでなく、恵みの機会として受け止めているそうです。
 さらに、なんと先の大晦日は、年越しそばの注文が殺到する日なのに、日曜日と重なってしまった~! 数十件の予約を断ったのだそうです! きっと近所の蕎麦家さんにとっては「福音の日」「恵みの日」となったことでしょう。すごいもんだ。
 次の大晦日は日曜日でないので、さすがのHさんもホッとしていましたよ(笑)

 みなさんも、いつか通りかかったとき、ぜひ、おいしい手打ち蕎麦を食べに訪ねてはいかが。近くに草津温泉、万座温泉(キリスト者の友人が経営する大きなホテル有り)、四万温泉、スキー場がありますし。私は今後、通過する機会に寄って、旧交を温めたいと思います。
「はやしや」のサイト。ただし、日曜日は休みだから注意してね。)

もう一つの祝宴
 左の写真は、6日(土)、わが家で持った久しぶりの友人との食事会。妻がかつて働いていた会社仲間が来てくださいました。メニュー(ラザニア、パエリア、ハムサラダ、伊達巻き三種、生春巻き、牡蠣フライ、カルフォルニア・ワイン、ケーキ)、みな手作り中心の持ち寄りです。ヨーロッパからの一時帰国者もいて、よき新年会となりました。

 三時間ほど、楽しい会話を楽しんだあと解散。この機会に、ナウエン著『放蕩息子の帰郷』をプレゼントさせていただきました。自分たちが息子であり娘であり、さらに父にも母にもなっている方々の心に深く届くことを願って。
 望年会、クリスマス、正月、新年会、決して贅沢をしたわけではないですが、ご馳走のオンパレードを経たおかげで、体重が心配です。二、三キロはやせなきゃ!
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ベルリンでの夜中の出来事

 2006-01-14
夜中のモスクワ駅を発つ
 先の記事で、若いころドイツに渡ったとき、モスクワで起きた出来事を書きました。
 これには、さらに続きがありす。また一つ不思議な出来事があったのです。モスクワから列車の旅を経てベルリンに着いたときのことでした。
 当時のソ連旅行は、公認の旅行会社によって滞在場所、交通機関の利用時間が決められてしまいました。モスクワに滞在したあとわたしは、夜中のモスクワ駅、12時発のベルリン行きにしか乗れませんでした。きっと、通過するソ連領土内を外国人に見られたくなかったからでしょう。その列車は、まる一日かかって次の日の夜中の12時にベルリンに着きました。

 その日程を知らされたのは日本を出発する直前でした。ベルリンに夜中に着くことに気づいたとき、その日の宿を決める時間もなく、日本を出なければなりませんでした。じつは、これが一番の心配の種でした。

 列車の中は、東ドイツに出稼ぎにいくキエフ出身の陽気な人たちと一緒になり、最初緊張したものの楽しい旅になりました。「日本の車はリッター何キロ走るのか」みたいな質問を受け、言葉も通じずで、しどろもどろのドイツ語、英語で会話したことを覚えています。

夜中のベルリン駅に着く
 さて、長い列車の旅は終わり、大きな荷物をかかえたまま、当時の西ベルリンのセンター駅である動物園駅で降りました。構内で徹夜する覚悟でした。
 手持ちぶさたなので、構内の交番で大きなスーツケースを預かってもらい、ぶらぶら構内を見学しました。時刻表を掲示してあるホールのようなところに来ました。人はまばらでした。

 そこに、細い身体をした少し猫背で黒髪、目がキョロキョロした男性が立って、時刻表を見上げていました。わたしは日本人かなぁーと、少しその方を眺めていました。そこで、何が起こったと思います?

 その方が、なんとなく見覚えのある方だったのです!

「まさか~! うそだろ~。そら似だろう~。・・・う~ん・・・」と思いましたが、近づいて、おずおずと声をかけてみました。

「あの~、日本の方ですか?」
「そうです」
「間違ったらすみませんが、もしかしたら○○先生ではありませんか?」
(その方は、わたしが大学一年の教養過程で授業を受けた「西洋史」の先生そっくりだったのです・・・・)

「ええ? そ、そうですが・・・、いったいあなたは?」

もちろん、わたしもびっくりです、わたしは満面の笑みをうかべてこう言いました。

「やっぱり。わたしは先生の授業を受けたことがあります。詳しいことは忘れましたがとても印象深く覚えています」

 なんということ! 考えてもみてください。日本をはるか離れたベルリン、しかも夜中ですよ! こんな出会いってあるのでしょうか!

 先生は、「なぜ、あなたがドイツに?」ということで、わたしは目的を話し、今晩泊まる宿がない事情も話しました。そしたら、
「じゃ、泊まれる宿を探しましょう。ちょうどいまバイロイト行きの列車の時刻を調べていたところで、これから宿を探そうかなと思っていたところです」
「ええ? よろしいんですか? ど、どうぞ、よろしくお願いします!」

てなことで、二人で真夜中のベルリンで宿を探すことになりました。先生は何度もドイツに来ておられ、市内も詳しい。心もとないわたしに比べ、ドイツ語は問題ありません。宿はすぐに見つかりました。

問題解決
 こうして、出身大学の先生と同じ部屋に泊めていただくことになったのです!!

 いやはや、いやはや、じつにほっとしましたよ。「地獄で仏」とはこのこと、おっと、すみません、撤回します。「天使の助け」とはこのことです。

 先生がなぜ夜中の駅にやって来たかといいますと、ヨーロッパ研究家であり、オペラ・ファンだった先生が、有名なベルリン・ドイツオペラ劇場でワーグナーの作品を鑑賞してきた帰りだったのです。

 ワーグナーのオペラ(楽劇)といえば、一つの作品が長大で、ふつうのコンサートだったら夜7時から始まるところが、夕方の4-5時ころから始まって夜中近くまで上演するという、とんでもないものです。だから、夜中に駅に来られたというわけです。そして、ワーグナーファンの聖地、バイロイトに行くための下調べだったのです。

 次の朝、先生は旅に出発なさいました。「これからも連絡を取りましょう」ということで別れました。
 先生は帰国なさってから、この出来事を大学新聞の記事で取り上げました。わたしものちほど、その記事を読みましたよー。

主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
                             (詩篇121:3)

 こうしてスタートを切ったわたしの二年にわたるドイツ滞在は、よいことばかりでなく、危機もありました。でもその都度、これらの出来事を思い起こして、励ましを得ました。神は真実な方です・・・・。
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モスクワ/9月23日 不思議な出会い

 2005-12-20
モスクワへの旅
 その昔、わたしは大学を卒業してから、単身、ドイツに留学しました。70年代後半の話です。憧れのドイツに留学するために、ロシア経由で渡航することにしました。当時、それが一番安かったからです。新潟空港からハバロフスクへ、ハバロフスクからモスクワへ、そしてベルリンへという旅でした。外国に出国するのはわたしにとって初めて。信仰を持って三年目くらいの時期です。

 キリスト者の先輩から、次の聖書の言葉を贈られました。
「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる」(詩篇121:8)

 ハバロフスクからは、エアロフロートの大型旅客機での大陸横断でしたが、客室は清潔で、ゆれも少なく快適でした。

 長い長い飛行ののち、モスクワ市郊外の空港に着きました。それは、9月23日の夕方のことでした。降りて驚いたことに雪模様。さて、次に市内に移動しようとしていたとき、「吹雪のため、バスがストップしている」というアナウンスがありました。
「これは困ったぞ」と、出口付近でうろうろしていました。とのときです。ある見知らぬ日本人から声をかけられました。

 「あの、よかったらわたしの車で市内まで送りましょうか?」
 「ええー、いいんですか?(なんという親切)」
 「ええ、わたしは知人を迎えに来たのですが、着いていないようです。日本人を乗せてあげることはよくしているのですよ」

 人のよさそうな人です。甘えさせていただくことにしました。旅行会社指定のホテルまで送ってもうらうことになりました。その方は、日本の会社のモスクワ支店で働いているということでした。ホテルに着くと、名刺をいただき、別れました。Yさんという方でした。「何か困ったことがあったら、また連絡ください」と親切にも言ってくださいました。

 ひとりぼっち、初めての外国旅行。Yさんの出現は、とても心強く感じ、助かりました。神様の守りを感じ、感謝しました。ホテルの部屋に入ると、ほどよい暖房も効いていてほっと安堵しました。

その後の出来事
 二年のドイツ滞在を終え、帰国しました。
 そして、それから何年もたちました。

 その後、主の導きを得て結婚をしました。妻との出会いは、クリスチャンの定期的な勉強会でのことでした。彼女は大学でロシア語を専攻し、それを生かして、建設機械を輸出する会社に勤めていました。結婚を機に会社を辞めることになりましたが、結婚式に、お世話になった上司を招きました。
 
 新婚旅行を終え、あまり日にちがたっていないころのことです。妻が私の昔の日記を発見し、モスクワで日本人と出会った箇所をたまたま見つけて、わたしに話しかけました。
「この、モスクワであなたが会ったYさんという方は、もしかして結婚式に招いた方かもしれない」と・・・。

「えーっ! まさか! そんな・・!」

 わたしは驚愕し、さっそく、はらはらしながら日記を開いてみました。
 たしかに同じ苗字が書いてあります。でも、同一人物であるかどうか不確かです。しかし、そのころYさんがモスクワ支店で勤めてた可能性が大きいことを知りました。しかも会社名が一致しています。

 わたしは興奮し、さっそくYさんに手紙を書くことにしました。「もしかして、あのときのYさんでしょうか。あのときは本当にありがとうございました」と・・。

 Yさんとはその後、お宅に夫婦でおじゃまし、改めてお礼を申し上げることができました。Yさんは、聖公会のクリスチャン家系で育っておいでした。彼は、好意で何人かの日本人を空港からモスクワまで送った経験をお持ちでした。ただ、わたしの顔までは記憶に残っていないとのことでした。

そして、もう一つ
 もう一つ付け加えることがあります。

 何年かぶりに、それと知らずにYさんと再会した結婚式の日ですが、モスクワで親切にしていただいた日付と同じ、9月23日だった(!)のです。

 自分の生涯の歩みの中で、聖書の言葉の真実と、主の守りを体験することのできた出来事でした。みなさんも、これと似た体験があるでしょうか。
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メールがつなぐ狭い世界

 2005-11-15
 昨日、アメリカ在住の親戚からメールがありました。それは、いま彼らの集っている教会が支援しているアメリカ人宣教師が、久しぶりに日本から米国に帰国し、その働きの報告会をその教会でもったという内容です。その宣教師は、流ちょうな日本語を話す方で、親しく交流ができたそうですが、その方が代表を務めるF宣教団の日本事務所が、私の自宅のすぐそばであることに親戚が気づき、メールしてきたのです。

 私もそれを数年前から気づいていました。そして、貴重な働きをしているということも。すぐ返事のメールを書きましたが、その同じ日の夕方のことです。私が働いている事務所に、ひょいと二人の婦人が訪ねてきました。資料を買い求めに来たのです。

 その方々は、何とF宣教団の会議のためにお茶の水のビルまで来たということでした。(あれ、まあ、偶然というか必然というか・・・・)
 しかも、その二人の婦人のうちの一人は、私が学生時代にお世話になったこともある方で、いまはある地方教会の牧師婦人をしておられます。ということで、「お久しぶり~」ということで、しばらく懐かしく立ち話をしました。太平洋を越えて、F宣教団に関係する内容のメールがその日に来たこともお話ししました。

 さらに、私の自宅近くのF宣教団の事務所で働いてるある男性は、私の友人のO牧師が奉仕をしていた教会の信徒さんでした。それをO牧師さんから知って、二年くら前に食事をご一緒したことがあり、すでに顔見知りです。

 クリスチャンの世界って狭いですよね。日本の社会で少数であることは、不利な面も多いですし、さまざまな宣教団体が、経営難をかかえながらも献身的に活動しています。しかし、少数だからこそ、お互いに知り合いやすく、協力の輪が広がりやすいということでもあります。

 F宣教団は、これからもますます重要度になるだろう「家族関係・子育て」を支援する国際的な団体です。
 私も二人の子どもをかかえる身、彼らの働きから大いに学ばないといけない時期にきています。ほかでは得難い出版物を出していますので、それを読むことからスタートできればと思います。
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