リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その9)

 2007-11-22

シリーズ前回の(その8)の(1)~(3)に、続いて(4)を書きたかった
のですが、長くなるので今回に。

(4)何を学べるか
 (1)~(3)で、伝統的な礼拝との違いに触れましたが、それは批判するためでなく、少し距離をとって客観的に見たかったからです。
 しかし、そこに提案されている「求道者向け礼拝」から、学べることは多いと思っています。

「目的の明確化ーー逆転の発想」
 「なんのために、教会があるのか」ということを、シィーカー・
フレンドリィ・チャーチ(SFC 以下同じ)は自覚し、明確化していますね。
ただ一つの目的というより、複合的な目的を持っているようです。

 これまで教会は、「これがキリスト教の礼拝です。これが私たちの説教のスタイルです」
という既存のスタイルに、それとはまったく馴染みのない人でも招こうとしてきたわけです。
 しかしSFCは、「まず非キリスト教文化で育った人にとって親しめるスタイル。
しかも自分たちの教理に妥協することなく」という発想からスタートし、
教会をデザインしています。これは逆転の発想とも言えそうです。

 この発想は、善し悪しというより、どう自分たちの使命を自覚し、それをどう実現
しようとしているかにかかっているでしょう。

「現場主義、フィードバック」
 教会がただ機会を提供するだけでなく、それへの参加者の反応はどうか、さらには、
期待、希望、ニーズは何かを実際に調査し(往々に想像(思い込み)と異なるため)、
耳を傾け、それを採用する用意があるのがSFCのようです。

 礼拝は神が中心であり、またそこに目的があるのですが、それを捧げるのは、肉体をもち、
感情を持ち、人生を背負った私たち人間。礼拝は、はなはだ人間的な営みでも
あるのです。ですから、こうしたフィードバックを得ることは、私たちを観念化から
救ってくれるのではないでしょうか。

 日本の大多数の教会では、多様な礼拝・教育プログラムを毎週実行する能力はありません。
ですから私たちにできることは、それが中心となるにしろ、日曜の午前の単一なプログラムに
何もかも期待するのでなく、また一牧師の働きに(指導を求めるにしても)
何もかも頼るのでなく、複雑化した現代社会の日常において対応することが求められて
いると思います。
 これは「ありきたりの結論」ですが、実行は簡単ではありません。

 教会の対応は、そのために他のミニストリーや団体とも協力して福音伝道したり、
信徒を育成したり、信徒の自主性を認め、その意見を取り入れたり、励ましたり、
支援していくことではないでしょうか。(これも「ありきたり」のまとめ?)

(シリーズはさらに続く。汗)

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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その8)

 2007-11-15

 記事が八回目に突入しましたが、いまやアメリカでいちばん有名な牧師、ウォレンさんの『魅力的な礼拝へのかぎ』の読書感想を綴っています。(見識の狭さゆえ、見当違いがあると思うので遠慮なくご指摘ください)

 ただ私は、リックさんの展開している教会論を普及しようとか、
全面的に賛成だという意図はありません。たいへん面白く、
これまでに書かれたことがないと思われる内容にひかれたので、
読んだまま、感じたままを素朴に記しています。

 ここまで続けてくると、いろいろと発見してくることがあります。

(1)「シーカー・フレンドリィ(センシティブ)・チャーチ・サービス」(求道者に親切な礼拝)
 こういう言葉があるらしいことが分かりました。これには、ロサンジェルスにある
リック牧師の「サドルバック教会」、シカゴにある「ウィロークリーク教会」、
積極思考法で有名なシューラー牧師がいる「クリスタル・カテドラル」
が入るらしいです。なるほど、ふつうとちょっと違うということですか・・。

(2)「シーカー・フレンドリィ・サービス」は礼拝か?
 礼拝とはあくまで信徒が神に捧げるもの。そいういう意味で、信徒になる手前
の人が多く参加し、その人たちのニーズを焦点に当てた礼拝は、正しくは「礼拝」
と言えないのではないか、という見方があります。

 ですから、シーカー・フレンドリィをあくまで押し進めると、本来の礼拝から
遠ざかってしまうのでは、という心配も生じます。これは一理ありますね。

 そういう意味で、この「サービス」を「礼拝」と翻訳するよりは、「集会」
「伝道集会」と理解したほうが(実際に表示するかは別にして)、ぐっと理解
しやすいと思われます。

(3)部分を真似するするのでなく、全体を考えよう
 こうした「伝道集会」に重きを置くのは、同教会の他のプログラムやスタッフが
充実しているがために可能だと思われます。

 土曜日の信徒向け礼拝(専門用語が頻出?)。心の問題や依存症に対処する
「リカバリーグループ」の設置。教会内のスモールグループによる受け皿、
定期的におこなわれる本格的な聖書や教理を学ぶ機会、講習会・・
こうしたことが背後にあり、あるいは持てる規模の教会だから、
全体として機能しているのでしょう。

 こうした全体像をしっかり理解しないと、いろいろと見誤ることも起きそうです。

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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その7)音楽

 2007-10-26
教会史から学べること
今ではりっぱな教会音楽として評価の高い賛美歌は、作られた当時は
低俗として嘲笑されたものが多いそうです。たとえば、

○「ジュネーブ賛美歌」(英国女王が低俗と嘲笑)
○「きよしこの夜」(マインツ大聖堂の音楽主事「宗教性がまったくない、
  大衆的な悪ふざけ」)
○ヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」(当時の教職者「大衆劇のよう。
  繰り返しが多く、メッセージ性が乏しい」)
○名説教者チャールズ・スポルジョンは、当時作曲され、現在我々が
  重んじている賛美歌を軽蔑。

いやー、驚きました。そうだったんですね。

これらの言葉は、現代の新作賛美歌に向けられる意見とまったく同じだというのだから面白い。

17世紀のバプテスト派は、教会で賛美歌を歌うのは「福音的な礼拝にふさわしくない」
とさえ考えていたそうです。当時のキーチ牧師が、大論争まで巻き起こしながら、
忍耐して20年かかった末、やっと普及したのだとか。(神学を変えるより難しい!)

今ではドラム、シンセサイザー、ビデオ、ドラマを持ち込んではならぬ、
とする一部の教職者がいるそうです。(基本的に採用の可否は各教会の自由です。)

伝統的な讃美歌を捨てて、現代のものに
サドルバック教会では、いちばん教会に来てほしい人たちのことを中心に準備し、
ラジオなどで人々が毎日聞き慣れている音楽スタイルを導入することに決めたそうです。

また、自分の教会の教会員に、ふだん聞いている音楽についてアンケート
(マーケッティング?!)したら、40歳前の人々は、1965年前の音楽には
まったく興味を示さなかったそうです。(日常生活と教会生活の分離はここでも?)

現代音楽とそのスタイルを採用したことで、教会員が何百人も去ったそうですが、
その代わり、新しい音楽スタイルで何千人もの人を引きつけることができたとのこと。

たいへん面白い試みですね。ヨーロッパの古い教会音楽を好む日本人は、
私を含めたしかにいます。しかし、その割合からしたら、
そうでないほうが圧倒的に多いでしょう。
日本の教会は、新来会者に来て欲しいにしても、どんな人を想定しているでしょう。

伝統的な音楽を好ましいと感じる何割かの人? それとも、その他の大勢?
それぞれ、いいところがありますよね。それとも、そいうことは考えなくていいのだろうか?


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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その6)音楽

 2007-10-25
 しつこく、第六弾です。編集者はしつこくないと勤まりませんので。(笑)

音楽を非常に大切なものと認める
リックさんは最初、音楽を過小評価していたそうです。
しかし今では、「一流の音楽による讃美をするよう精力とお金を
つぎ込む」という考えに変わりました。

それも、教会に来て欲しい人に親しめる音楽で礼拝を構成するそうです。
アメリカ人を支配している娯楽は野球でなく、「音楽」だという認識からきています。(教会が大衆の娯楽を提供するの?)

音楽をいちばん利用しているのはサタンではないかと言います。
現代世俗音楽は、多くの若者や人々の心をとらえています。
そのコンサートには、大伝道集会以上の多くの人々が常に集っています。
(世俗音楽のほうが、かつての歴史的大リバイバル集会を真似したのかも。本家はこちらのほうだ! 笑)

なぜ教会はそれを良いことに用いないのか、今では日常ほとんど耳にしない何百年前のヨーロッパ音楽を用いるのか、と。
(私個人はクラシック音楽が好きですが・・汗)

サドルバック教会での失敗
かつてサドルバック教会では、「バッハからロックまで」カバーしようとしたことが
あったそうですが、満足する人は一人もいなかったとか。
そして、「教会員のすべてを満足させる音楽スタイルをひとつだけ探す努力は時間の無駄」という結論に達します。

リックさんはこう言います。
「どんな音楽を使用しているかで、その教会がどんな人を招きたいか、
また、招くことができないか、現地にいくまでもなく分かる」

「18世紀のヨーロッパで書かれた音楽だけがいいとするのは、文化的エリート意識」

「教会は、特定のスタイルの音楽だけが『神聖』なのではないと認めるべき」

「特定の音楽だけを神聖化するのは偶像礼拝」

ここまで大胆な言い方に、驚きました。世俗音楽と宗教音楽を分けるものは、
歌詞だけだという考え方です。確立した一定の形だけを長年ありがたがるのは、
ある意味、硬直化した「偶像礼拝」と言えないこともないが・・。

礼拝音楽を多数蓄積するのは、歴史、膨大な時間、多彩な才能が必要で
簡単ではないですが・・。

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リック・ウォレン牧師が提案する新来会者むけの礼拝(その5)

 2007-10-13
 リックさんが、なぜこうした「改善(カイゼン=トヨタ手法?)」をするかは、教会の背景を持たない人々が、もはや大半を占めるようになってきたからでしょう。また随所に、経営学の大家ピーター・ドラッカー氏の影響を見ることができます。

現代経営論の導入か?
 これは、神学や教理をまげることなく、「変えていいところは変える」と言うことができそうです。これは経営的手法で、いわゆる「教会成長論」の一つとして、あまり好まない人がいるらしいことは聞きます。
 数や統計、計画を重視し、教会を大きくしたいがために目前にいる人間が疎外されるような非人格的な「教会成長論」の弊害は、すでに私たちは学習済み。

 経営学というとこの世の手法と思われがちですが、要は、現実を直視し、「相手をよく知り、己をよく知る」という、ごく当たりまえの感覚とも言えます。「経営学」が悪なのではなく、何のためにそれを利用するのかで問題が出るのではないでしょうか。

新来会者のフォローはどうするのか
 前回の記事で、「新来会者は皆に紹介せず、そっとしていく」というリックさんの考えは分かりました。日本の教会は人数が少ないので、ある程度の紹介は避けられないでしょう。しかし、リックさん! フォローはどうしたらいいのでしょう。 
(写真は原書に掲載。カジュアル!)

三種類のカードの活用
 サドルバック教会では、人数が多いこともあるでしょうが、「新来会者紹介」の時間を持たない代わりに、いくつかのカードを用意しているそうです。

 (1)第一印象カード  (2)歓迎カード  (3)礼拝評価表

 この資料を通じて、出席の確認、霊的状態の診断、祈りの課題収集、信徒の年代、行事への参加希望の有無、人材募集、礼拝の評価、個人情報の更新、説教の材料集め、新しい必要の把握、その他・・・を知るのだそうです。

 いやー、びっくりしました。ここまで来会者や信徒の情報、状態を知ろうとしているとは! もちろん信徒は自発的に提出するのでしょう。牧師へ個人的に伝えたいことも書けるそうです。「面と向かって口で言えない人でも、文章でなら伝えることができる」とリックさんは言います。ほんとですね、これは。

 リックさんは、会員が三千人になるくらいまで、毎回全部に目をとおしていたそうです。現在は、牧師への私信が書かれているものだけ読むそうです。いやー、すごいもんだ。

それぞれのカードの役割
 カードは、新来会者だけが書くのでなく、みなが書くので、新来会者の心理的負担が軽減される、またカードは献金袋に入れて回収するので、献金しない人でも献金袋に入れるのがある(!)ということです。知恵ですね!
 新来会者は、「第一印象カード」を書くそうで、そこから初心者の視点を学ぶことができるそうです。また、来会が一回目、二回目、三回目かどうかを記入する欄があり、牧師より、それに応じた歓迎の手紙を受け取るのだそうな。へ~、びっくりだ。行き届いてますね。

 「歓迎カード」は、定期的出席者、教会員からの感想を収集するのだそうです。なかには提言、助言をよくしてくれる信徒がいて、耳を傾けるそうです。

 「礼拝評価表」は、教会スタッフの見解、感想用。週報、音楽、説教・・・あらゆる礼拝要素の評価を書けるそうです。毎回の説教についての感想、評価も書けるのは画期的。

 日本の教会でこうした「信徒からのフィードバック」を得ているところは知りません。とくに先生に意見を言うのは失礼になり、はばかれる文化(聖域?)です。「思うところはあるが、どう伝えてよいか分からない。聞き入れられるかも不明。このままだと、黙って別な教会に変わるしかない」と思っている信徒(初心者ではない)を、私は何人も見てきました。(それはそれでしかたがない、という考えもあるでしょう。)
 また教会スタッフといっても、なかなか率直なことは書きにくいでしょう。システムを作ればよいというより、それを支える風土作りがあって、はじめて成功すると思います。

 三種類作るかどうかは別にして、こういうフィードバックの窓口を作ることは、小さな教会でもできそうです。これをするだけでも、教会はますます良くなるのではという予感がします。(そう思うのは私だけ?)
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