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わがたましいが崇め、わが霊が喜ぶ。

 2013-12-24
 もうかなり前、ハンス・ビュルキ師による一ヶ月の黙想セミナーに参加したとき、最初に渡されて、それを黙想し、味わうよう言われた聖書の箇所が下の箇所だった。エリザベツと出会ったとき、エリザベツの祝福を聞いたマリヤの心に奥深くから湧き出た賛歌の祈り。マリヤの孤独と不安は癒やされ、メシア到来の物語が始まった。
 そのときは、なぜこの箇所?と不思議に感じたが、喜びで満たされること、とくに救い主を喜ぶことは、信仰者にとって、とても本質的なことだと思う。

 しかし、よく見ると、私の感情というより、私のなかにある「わがたましい」「わが霊」が喜んでいるのだという。私が単にニコニコしてハッピーというのではない。心の奥深くで、私の存在の中心が喜んでいる、というものだと思う。
 マリヤはそれに驚き、それがまた自分の喜びとなった。

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 「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます」

  "My soul glorifies the Lord and my spirit rejoices in God my Savior," 



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「鎌倉黙想の家」での静まりの時

 2013-06-03
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 先週の週末、鎌倉黙想の家(イエズス会)で、聖書の言葉を黙想し、ナウエンの言葉を味わう「静まりの時」を持ちました。ナウエンの訳者として、私は指導(同伴)と講師を務めました。
 急がず、慌てず、詰め込みすぎず、を気を付けながら、三日間を過ごすコミュニティの中で、神の愛の自分への語りかけを、耳をすませて聴く機会でした。以下は、短い報告です。

一日目
 オリエンテーション
(1)静まりと共同体
  神の前に独りで過ごす大切さ、また人々とのつながりの中で過ごすコミュニティの大切さ。生活の中で、両者のバランスとることが基本であることを確認しました。

二日目
(2)神の愛を受け止る
 「あなたは私の愛する子」。イエスに語られた同じ言葉が私たちについても語られていることを、ナウエンを通して味わいました。

(3)愛されている者になる
  神の愛を受けている(being)だけでなく、愛されている者になる(becoming)こと。感情が満たされ、癒されて終わりではなく、日々それを生活化していく修練について学びました。神の愛を受け取ると、それは私たちにどう働きかけ、どう私たちを変えていくか(形成していくか)、ナウエン以外のキリスト者の言葉も参照しながら考察しました。

(4)人生の喜びと悲しみ
  ナウエンは、人生で味わう喜びと悲しみについて書いています。悲しみのない人生が素晴らしいのではなく、両者は一つにつながっていることに目を開かせてくれます。両者を贈り物としてどう受け取るか、ナウエンの霊感あふれる文を味わいながら、想いを向けてみました。

三日目
(5)人生を祝う
  喪失ばかり満ちているかのようなラルシュ共同体で、ナウエンは他で見ないくらい多くのお祝いの時を持ちました。誕生日だけでなく、日々のいろいろな出来事、また嘆きや喜びを、人生の記念として祝うことの大切さ。それらを、神から贈り物として受け取る祝福について学びました。少しずつ実践していきたいものです。


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 毎日の食事は、毎回、野菜たっぷりで、申し訳ないくらい手間をかけた季節観豊かな美味しい料理をいただきました。豆ご飯は、ある神父様が庭で作っている農園の収穫物だそうです。





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 小社の出版物も、図書コーナーに紹介くださっています。


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「ナウエンと共に聖書を味わう」黙想会

 2012-05-09
th_IMG_1892_2.jpg 四月の半ば、鎌倉にあるイエズス会の黙想の家で、黙想セミナーを行ってきました。
 季節もよく、花が咲き、鳥が鳴いて環境は抜群です。
 参加者は16名ほどだったと思います。

 二泊三日で、全五回のセッションに加え、最初にオリエンテーション、最終日の最後に、全体で何が自分にとって大事になってきたかを振り返る「まとめ」の時間を設けました。

 五つのセッションのテーマは、「御言葉と黙想」「神の愛を受け取る」「心を開く」「神の臨在と不在」「共同体への招き」でした。

 それぞれに中心となる聖書の言葉を黙想したあと、ナウエンがそれについて、どのような霊想を文章にしているかを紹介し、共に味わいました。

th_IMG_1898_2.jpg 集会は、最初、丸く座って、ゆったりと聖書の言葉を黙想する時間を持ちました。左の写真は、会場の風景。

 カトリックの施設のすばらしさの一つは、和風の伝統を残していることです。こちらの黙想の家は、最近、列副されたペトロ岐部にちなんだ名称が主要な部屋につけられており、日本で多数の殉教者を出した歴史を思い起こさせ、厳粛な思いになります。

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 こちらの図は、最終日に、三日間の学びを振り返って、「いまの自分の心境」を、各自が葉書サイズの白紙にコラージュで表したものです。

 一番手前が私の作成したもの。上から、「荒野」(火山の斜面)、「聖書の味わい」(数種類の漬け物)「交わり」(ベンチに座っている二人の語らい)を示しました。

 人生に荒野はつきものですが、イエスも荒野で誘惑に遭いました。そして、神の愛の声を受け止めることで、悪魔の誘いに打ち克ちました。

 漬け物は、何の珍しくもない日常の食べ物ですが、先祖から伝えられ、引き継がれた伝統の味であり、そのさまざまな味は私たちを楽しませ、元気づけることから連想し、聖書の言葉の味わいを示しています。

 それはさらに、生き生きとした共同体、すなわち互いを養い、人生の経験を分かち合って、互いの変容をもたらす共同体を生み出します。その始まりは、個人と個人の人格的交わり、傾聴、あるいは対話から始まるというイメージです。

  ***************************

 下の花の写真は、同じ敷地内にあって、ウグイスのの鳴き声が響く谷間をたどる「十字架の道行き」コースに咲いていたものです。
 美しい季節と環境の中で、私も改めて聖書とナウエンの味わい深さ、参加者との出会いを楽しむことができました。
 参加者の皆さんも、爽やかな印象を抱いて「山」を下り、日常の生活の場である「里」に戻って行かれたように思えました。

 日程決めはこれからですが、来年も催す予定です。ご都合のつく方はご検討ください。

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黙想:直接、神に聞く。

 2012-03-07
 ときどき、聖書の学び方を教えてもらっている師からいただいたメールに以下(英文)のようにありました。
 いろいろ役に立つものは世の中にありますが、まず何をしなければならないかを心したいと思いました。(強調で文字に色づけしたのは私)

 ただし、私たちのうちに気づけないでいる偏見、限界、時代や文化の影響があるので、他の助けも二次的に必要でしょう。

 REFLECTION: Getting your answers directly from God

 When Simon Peter confessed that Jesus is the Christ, the Son of the Living God, Jesus immediately responded, “…You didn’t get that answer out of books or from teachers. My Father in heaven, God Himself, let you in on this.” Matthew 16:17-18 (M).


 Shortly afterwards, when Jesus was transfigured before the three disciples, they heard God’s voice say, ‘This is my Son….Listen to him.” (Matthew 17:5).

Christian books, commentaries, teachers, the internet and videos etc., all have their place. But let Psalm 27:4 be the priority in our lives:


“ONE THING I ask of the LORD,

this is what I ask:

that I may dwell in the house of the LORD

all the days of the my life,

to gaze upon the beauty of the LORD

and to seek him in his temple.”



     “Let us glance at men but gaze at God.”

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落ち着きを取り戻した日(「一日リトリート」)

 2011-01-13
th_IMG_1088.jpg ツイートでもつぶやき、本ブログでも案内した「一日リトリート」(於:四ッ谷 クリスチャン・ライフ成長研究会)に、今週の月曜日、参加しました。
 東京では年二回開かれ、私は用事がないかぎり毎回参加しています。

 今回は40名余りの方が参加しました。ただ、心を静かにして祈るとき(黙想)なので、参加者同士でそう多くを話すわけでありません。昼食のとき、同じテーブルでたまたま一緒になった方々と、少し感想を言い合うくらいです。

 年頭ということで、昨年、自分の生活の中で起きたことをざっと振り返り、その中で気づいた神の守りや気づき、神様からの教えについて点検しました。それも、自分にとって心地よいと思われる自分のペースで行いました。

 ふだん大切だと思いながらも、向き合うことができないでいる、あるいは避けている(ある人にとっては意表を突く)テーマが講師より出され、じっくり黙想します。その結果については、皆の前で細かく語る必要はないのですが、ごく短いまとめをペアになって聴いてもらいました。
 
 毎回、自分の精神生活についてのいろいろとヒントが与えられますが、全体を通して私が気づくことは、何か大きな転機が生まれるというより(人によってはあるでしょうが)、ふだんあまり注意を払わないでいる、自分の心の深いところにじっくり、落ち着いて向き合うことの大切さです。

 そうすることで、落ち着きなく騒いでいた、また思い煩っていた自分の心が、何らかの落ち着きどころを見いだし、自分の今いる位置を落ち着いて受け入れることができるように思います。

 このリトリートは私にとって、すぐに元に戻りがちだとはいえ、時流に流されない自分を取り戻す、心をリフレッシュする時間になっています。

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