関西牧会塾 「ナウエンに学ぶキリスト教霊性」(概要)

 2015-11-20
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 今年から開始した、関西牧会塾。5月、7月、9月、11月と、四回にわたって、ナウエン講座を持ちました。
一回は2日間で、一日二つのトピックを取り上げ、計4つのテーマで受講者と一緒に、ナウエンの世界をたどりました。以下はそのあらすじです。
 ナウエンが大好きな人たちとの出会いは、とても元気づけられました。


第一回「ナウエンの霊的形成とは、神の愛と観想の祈り」(5/18-19)
一日目
(パート1)ー「霊的形成とは」
  奉仕者に求められる霊性
  内への旅と外への旅
  霊的修練の全体像

(パート2)ー「霊的形成と霊的成熟」
  霊的成長での古典的理解
  ナウエンの霊的形成
  成熟した霊的生活とは

二日目
(パート3)ー「祈り、神の愛」
  祈りによって神の愛を受け取る
  神の愛に根ざしたイエスの宣教
 「祈り」という修練

(パート4)ー観想の祈り
  レクティオ・ディヴィナ
  臨在とは(プレゼンス)
  観想の祈りについて

第二回 「『傷ついた癒し人』(1)、もてなし」 (7/13-14)

一日目
(パート1)ー「ナウエンは現代人をどう理解したか」
  脱走兵のエピソード
  「苦悩する世界」
  核時代の人間の苦しみ

(パート2)ー「苦悩する牧師」
  傷ついた癒し人のエピソード
  個人としての孤」
  奉仕職としての孤独

二日目
(パート3)ー「もてなしの基本的理解」
  もてなし(Hospitality)とは
  もてなしはキリスト者の使命
  もてなすということ

(パ−ト4)ー「もてなしを実践するには」
  もてなしと共同体
  子供という客人
  イエスをもてなす、イエスにもてなされる

第三回「『傷ついた癒し人』(2)、喜びと悲しみ」(9/14-15)
一日目
(パート1)ー「現代人へのミニストリー」
  断絶した現代世界でのミニストリー
  解放への小道 
  根なし世代へのミニストリー

(パート2)ー「希望なき人間へのミニストリー」
  個人への配慮
  最も個人的なものは普遍的
  人生の価値と意味への信仰

二日目
(パート3)ー「喜びと悲しみ」
  感謝と喜び
  悲しみを迎え入れる
  イエスの喜び

(パート4)「臨在と不在」
神の臨在と神の不在の間で
聖餐式における神の臨在と不在
神の不在における臨在

第四回「憐れみ、共同体、宣教とは、人生を祝う」(11/16-17)
一日目
(パート1)ー「憐れみ(コンパッション)とは」
  憐れみとは何か
  憐れみへの道
  憐れみという賜物

(パート2)ー「 共同体(コミュニティ)」
  憐れみと共同体
  共同体を育む
  教会というコミュニティ

二日目
(パート3)ー「宣教とは」
  コンパッションから宣教へ
  イエスの宣教スタイル
  共同体としての宣教

(パート4)ー「人生を祝う」
  祝うことへの招き
  祝うことがもつ逆説
  小さなことを祝う
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牧会塾での黙想セミナー「放蕩息子」

 2015-09-30
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 昨日、ナウエン著『放蕩息子の帰郷』を題材にした黙想会を牧会塾主催で行いました。
これはナウエン自身が、行ったリトリートの資料を用いて、ナウエンの解説と彼が作った問い、また選んだ聖書箇所を使って、参加者に、それぞれ黙想の時間をとっていただくものです。

 会場に少し大きなレンブラント作「放蕩息子の帰郷」のポスターを壁に掲示し(写真上)、参加者には適宜、席を立って観賞しながら黙想していただきました。

 以下がそのテーマです。

 午前 1)再会のお祝い(父と子)
    2)父と弟息子の再会の現場に自分がいたとしたら

 午後 1)兄息子(大きな霊的チャレンジ、自分の中にいる兄息子)
    2)父の惜しみない愛

 父なる神とイエスとの関係から、私たちに注がれる神の惜しみない愛の世界に触れました。

 次回は、10月20日(火)午前10時半〜午後4時
 今回と同じようにして、ナウエンに導かれながら神の愛の世界に浸ります。

 参加のお問い合わせは、牧会塾へどうぞ


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牧会塾第二回ナウエン講座「ナウエンの祈り」「臨在と不在」

 2014-12-05
nouwen1  今年、最後の対外奉仕となる牧会塾での講座が終わりました。ほっとしています。都内で開催なので移動の負担が少ないですし、受講生も都市圏の人が中心になります。
 概要について紹介し、少しでも雰囲気を味わっていただけたらと思います。

 牧会塾での時間はいつもそうですが、午前と午後、それぞれ一時間の講義、休憩をはさんでグループでの分かち合い、その後の講師との質疑応答などがあります。その内容のいくらかを示唆するナウエンの短い言葉をつけて、以下にアウトランを書いてみます。

午前〈セッション1〉「ナウエンの祈り」

(1)祈りでの葛藤

 「あなたを愛し、あなたのそばにいて、あなたに語りたい。そして、あなたの御前にただじっとしていたい。でも、それが実現しません。顔を両手に押し付け、念じるだけでは、祈ることになりません。あなたの現存について書かれたものを読んでも、その内に生きることになりません」(『憐れみを叫び求めて』より)

(2)祈り、安らぎ、慰め、癒やし

「このところ、祈ることに困難を感じている。私は思い煩い、考え込み、苦悩している。心から祈ることができない。自分でも驚くが、マリアの祈りだけが、私に安らぎと慰めを与えてくれる。他のさまざまな神秘を思い巡らして集中できないときも、マリアへの受胎告知を黙想すると、心からの安らぎと喜びが与えられる」(『明日への道』より)

(3)祈りにおける無能、そして助け

「私たちの捧げる祈りの多くは、実際のところ、祈りにおいて私たちは無能であることの告白である。しかしそれらは、憐れみ深い神の現存に気づかせてくれる告白でもある」(『憐れみを叫び求めて』より)


午後〈セッション2〉 「臨在(現存)と不在」

(1)神の臨在、不在、新しい臨在

「イエスが去られた後になってはじめて、彼の真のみ霊がご自身を彼らにあらわすことができたのである。彼の不在において、新しい、より深い現存が可能となった。神の啓示の大いなる秘儀は、神が私たちとの交わりを結び給うのはキリストの到来によってだけではなく、キリストが去られることによってでもある、という点にある」(『生きた想起者』より)

(2)奉仕者の不在というミニストリー

「(奉仕者、牧師の)現存と言うミニストリーは、疑いもなく非常に意義のあることではあるが、それは不在と言うミニストリーとバランスが保たれている必要がある。その理由は、創造的なミニストリーの本質が主の不在の痛みを、彼の臨在のより深い理解へとたえず転換することにあるからである。しかし、不在はまずそれが経験された場合にだけ転換され得る。
 私たちが去ることによって神のみ霊に場を提供し、また立ち去ることによる私たちの不在は、神が新しい仕方で臨在されることになるというミニストリーがあることを(私は)深く確信している」(『生きた想起者』より)

(3)奉仕者(牧者)の不在による牧会

「祈りとは、人々のことで多忙である代わりに、神と忙しくしている姿勢なのではない。それは神の臨在において空しく無益なものとされる途(みち)であり、すべては恵み(による)なのであって、何事も単に一生けんめいにやったことの結果ではないという、私たちの信仰の基本を宣言する一つの方法なのである」(『生きた想起者』より)


 味わい深い時が流れました。
次回の講座は、

 2015年 2月12日(木)第三回 「『もてなし』における三つの関係」
              「学ぶとは、教えるとは」(内容は変わることがあります。)

 問い合わせは、牧会塾までどうぞ。


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牧会塾「ナウエン講座」(2014-2015)(全6回)内容の予告

 2014-11-06
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 牧会塾でナウエン講座を持つのは何回目になるか、数えてことがありませんが、今月からまた始まります。私にとっても冒険の旅です。

 内容は変更になる可能性がありますが、だいたい以下のことを準備しています。
 霊的修練の実践コースでなく、ナウエンの豊かな世界の理解と考え方を彼の文章から学ぶための午前と午後の講演、それに参加者同士での分かち合いをします。


2014年 牧会塾 ナウエン講座(定員20名)

11月13日(木)第一回 「神の初めの愛」
          「『イエスの御名で』三つの霊的修練—観想、告白、神学的思索」

12月 4日(木)第二回「ナウエンの祈り」
           「現存(プレゼンス)と不在(アブセンス)」

2015年 2月12日(木)第三回 「『もてなし』における三つの関係」
              「学ぶとは、教えるとは」

    3月12日(木)第四回 「心の内の愛の声」
            「ナウエン最大の試練」

    5月28日(木)第五回 「平和を作り出す霊性」
            「社会的痛みへの共感」 

7月9日(木)第六回 「教会とは」
         「共同体の意味」

   (テーマ、順番は変わる可能性もあります)

場所 四ツ谷 幼きイエス会 ニコラバレ
時間 午前10:30-午後4:00
費用  一回5,000円+維持会費一回1,000円(他クラス併用、学期内七回目から不要)
       
まだ申し込みは十分間に合いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

申込方法 ファクス  046-248-6224
     メール   naokimori(a)mirror.ocn.ne.jp

 
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ナウエン講座「もてなし(Hospitality)」という霊性

 2014-07-16
 昨日は牧会塾の講座の一つとして、単発のナウエン講座を持ちました。
「もてなし」は、ユダヤ・キリスト教思想のなかでも、とても豊かな内容をもつ重要項目だとヘンリ・ナウエンは言っています。私も改めて学びなおして、新鮮な角度からキリスト者の働きの大切さ、意義、注意点について確認できました。
 参考した邦訳はありますが、重要な部分は原文に戻って訳し直し、その意味を探求しました。
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 もてなしは、聖書に出てくるもっとも豊かな言葉の一つであり、私たちが人間関係についての洞察を深め、見方を広げる助けになる。旧約新約の物語は、見知らぬ人を家に招き入れることが、いかに重要な義務であるばかりでなく、客人の側も、自分が携えてきた貴重な贈り物を、受け入れてくれたホストに見せたくてならないことを伝えている。アブラハムが見知らぬ三人の訪問者を歓待したとき、客人はサラが男の子を生むと告げた。やもめがエリヤに宿を提供したとき、エリヤは多くの油と粉を与えた。また息子を生き返らせ、自分が神の人であることを告げた。(ナウエン『Reaching Out』)

講座アウトライン

午前 セミナー1「もてなしについての基本的理解」
 1 もてなし(Hospitality)とは
 2 もてなしはキリスト者の使命
 3 もてなすということ

午後 セミナー2「もてなしを実践するには」
 4 もてなしに求められるもの
 5 もてなしと共同体
 6 子供という客人
 7 イエスをもてなす、イエスにもてなされる

 午前、午後とも参加者はいくつかの小グループに分かれ感想と学んだ内容、気づいたことなどを分かち合い、共有しました。皆さんに好評で、ホッとしましたし、よかったです。

参考図書『傷ついた癒やし人』『燃える心で』『差し伸べられる手』『いま、ここに生きる』
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