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天(国)についての本が出ました。

 2014-10-29
 ご無沙汰しております。
 現在、N.T.ライトの編集に邁進している日々で、余裕がなくてすみません。
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 さて、おっと思うような本が出ました。『ほんとうの天国』(ランディ・アルコーン著 佐藤知津子訳 いのちのことば社発行1800円+税)

 一般に流布している通説としての天国の解説書かと思い、取り寄せてぱらぱら頁をめくっています。どうやら、Life after Life after Dethについて書かれています。
 人間は死んだら空のかなたの天国に行って、永遠に過ごすのではない、その先の復活の命があること、神によってやがて地上が刷新され、その新天新地での生活が聖書の神を信じる人に約束されていることを、一般信徒向けに分かりやすく解説しているらしい(まだ全部は読んでないので)本です。

 読み始めたばかりですが、ポール・マーシャル『わが故郷は天にあらず』やN.T.ライトらが提示している天地の理解と同じように見えます。

 引用資料のリストとして巻末に、アリスター・マググラス、ポール・マーシャル、C.S.ルイス、G.K.チェスタトン、アウグスティヌス、ジョナサン・エドワーズ等の出典先が載っているので、ますます期待できそうです。これは読むのが楽しみ。原書は Randy Alcorn「50 Days of Heaven」Tyndale Houseです。(原書紹介はふつう最初の扉の裏に掲載されますが、老眼の私にはつらい小ささでした。もうちょいフォントを大きく表示して欲しいです。)

 ただ私は、本のタイトルを「天国」としていいのか疑問があります。新改訳聖書、新共同訳聖書にはHeavenの訳に「天国」を使っていないからです。「天」としています。たぶん本書は、これまでの一般的な天国観を聖書にそって修正したいので、一般に普及している「天国」を用い、その意味を変換したくて使用したのかもしれません。

 また「天国」を採用すると、それと対句になる「地獄」を採用せねばならないでしょう。事実、本書には「地獄」がある章に出てきます。ただし、この用語も新改訳では、いまや一箇所でしか使われていません。新改訳聖書は原語にそって「ゲヘナ」を採用しています。新共同訳では、17箇所くらいに「地獄」を使っています。カトリックと共同の訳だからでしょうか?
 聖書で「天(Heaven)」の対義語は「地(Earth)」となりますが、「天国」を使うとその対義語は「地獄(Hell)」ですから、言葉の概念の世界が違ってくるように思います。

 装丁はとっても素敵です。ただ、水色の空のかなたの茫洋とした霊的(従来の)天国観を「ほんとうの天国」としてイメージしてしまうかもしれないと感じなくもありません。ついに実現する新天新地での生活なら、地上と同じカラフルな世界で、空中の世界ではないでしょう。

 こちらの出版社ではたまにお見受けしすが、「著者(訳者)の紹介、略歴」がまったく載ってないことがあります。今回は「訳者紹介」は載っていましたが「著者紹介」が載っていませんでした。そして「訳者あとがき」は姿形もありません。「訳者あとがき」は、とても大切だと思います。これまで同じ出版社の訳本を何十年か見てきましたが、「訳者あとがき」の掲載が少ない印象があります。

 ただ、牧師や大学教授が訳者である場合、「訳者紹介」「訳者あとがき」は載っていることがほとんど。たぶん、一信徒の場合は掲載しない伝統かもしれません。私は「あとがき、解説」から読むのが好きですし、本書の意義、著者を紹介する意味でも、「あとがき(解説)」は大変重要であると思います。
 まことに、まことに、残念。
 
 なんとかしてくれないものでしょうか。
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「第2回N.T.ライトセミナー」が開かれます。

 2013-09-18
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 週日ではありますが、第二回N.T.ライトセミナーが来月開かれます。前回は一年前でした。今回はさらに深いライトの神学世界に接近します。(詳細は画像クリック)


 講師陣も充実していて、講演、研究発表、それへの応答、聴衆者との質疑応答も準備されている模様。

 N.T.ライトは、私たちがこれまでギリシャ的・ヘレニズム的な観点で聖書を読んできたことに気づかせ、聖書が書かれ、読まれた当時のユダヤ教・ヘブライズムを理解し、そこに立って聖書を読み直しをしている著名な神学者。その著作、講演は、世界の神学者、指導者、若い世代に大きなインパクトを与えています。その世界のいったんに触れることができます。

 昨年は聴衆が部屋にいっぱいになるほどで、クリスチャン・メディアでも取り上げられました。
 会場は、おなじ御茶ノ水クリスチャンセンターですが、部屋は広めの場所を用意してあります。
 ご都合のつく方は、ぜひ参加をご検討くださいますようご案内申し上げます。
 
 最新情報は以下へどうぞ。

ブログ「N.T.ライト・セミナー」(外部リンク)

本ブログ内の関連記事は、以下のリストをご覧ください。
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「大災害の神学」とは(中澤牧師による講演)

 2012-06-06
 大災害について、キリスト教神学は何を何を語っているか。あるいは語っていないか。
 意外なほど知られてない分野について、分かりやすく語っている中澤啓介牧師。

 一時間とうい長さですが、たいへん分かりやすく、またユーモアも交えた、興味深い内容です。
 アウグスティヌス以来、めぼしい神学的見解が見つからない「悪」「自然」の問題ですが、かつてリスポンであった大津波の 災害と、それに対する思想家、神学者の反応が興味深いです。

 まとめとしては、「創造論」と「神の国」の概念が大切になってくるのだとか。当代、随一の福音主義の神学者、N.T.ライトの名前もちらっと出てきます。

 講演者:中澤啓介氏 日本バプテスト教会連合 大野キリスト教会牧師
 提供:東日本大震災救援キリスト者連絡会



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ユダヤ人って誰のこと?

 2010-05-17
 私たちが「ユダヤ人」と言って思い浮かべる概念と、聖書で言っている「ユダヤ人」はまったく同じだろうか? しばらく前からちょっと興味をもち始めた。
 というのは、こんなドキッとする記事を前に読んだからだ。ほんとだろうか?

「ユダヤ人はどのようにして発明されたか」

 聖書の家系によれば、人類はノアの子孫から地球に広がった。ノアの子供たちは「セム、ハム、ヤペテ」。人類は皆、この子孫ということになる。(大洪水で他の人類は死滅したという前提)

セムの子孫への神の約束
 そして、アブラハム、イサク、ヤコブは、ノアの息子の一人、セムの子孫。そのアブラハムに対し、神は彼の子孫がカナンの地を受け継ぐという約束を与える。

 ヤコブ(イスラエル)から12人の息子が生まれ、その息子の一人、ユダがユダ族の祖。その家系がぐっと下って、ダビデ、ソロモンとなり、その子孫にイエス・キリストの父ヨセフがいる。ここでメシア(救世主)がユダ族の子孫から誕生するという預言が成就する。イエスの母マリアは、ユダ族の子孫でなく、ヤコブの子レビの子孫にあたる。

 だから、順当に行けば、現代のイスラエル国に住むユダヤ人は、セム系の子孫ユダ族ということになる。でも、リンク先のサンド氏の研究が正しければ、そうと言えないらしい。同氏は、「シオニズムは成立しない」と言っているらしいが、これはショッキングな指摘だ。

 紀元70年に、エルサレムが破壊され、国を失ったユダヤ人たちは世界に散った。およそ2000年がたつ中で、ヨーロッパでのユダヤ人迫害、ナチスによるホロコーストという想像を絶する苦難をへて、現在のイスラエル建国が実現する。

パレスチナ人の多くもアブラハムの子孫
 私の疑問は(メシアはユダ族から生まれるにしても)神が約束した「地を受け継ぐ人たち」は、現在の狭い意味でのユダヤ人だけでなく「アブラハムの子孫」であるはずでは、ということ。ならば、現在のパレスチナ人も含まれることにならないだろうか? 彼らの中に、イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒もいるだろう。 かなりキリスト教徒がいることは聞いているし、サンド氏もそれを指摘している。

 ところで、セムは、現在の中近東やアジア人の祖と言われる。ハム系は、現在のアフリカ人と言われる。ヤペテはインド、ヨーロッパ語族の祖にして白人の祖。すると、現代、ユダヤ人に白人系の人が多く含まれるのはなぜ?

「ウィキペディア」によると、現在のユダヤ人には二つの大きな家系に分類されるようだ。東ヨーロッパに住み着いたアシュケナージ(アシュケナジム)とスファラディ(セファルディム)系ユダヤ人。後者は、オスマン・トルコ圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多い。

 それ以外にも中東地域、アジア地域、イラン、インド・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコ、中国、ジンバブエなどにもユダヤ人が移住している。ほかにも、まだ子孫が世界中にいるらしいから、何がなんだかわからなくなってきそう。

改宗した他民族が今のユダヤ人なのか?
 現在のユダヤ人のかなりの部分を占めるアシュケナージは、創世記10:3に出てくるアシュケナズが始祖だとすれば、彼らは「ヤペテ」の子孫ということになる。すると、アブラハムの子孫と言えるだろうか? ユダヤ教に改宗したヤペテ系の子孫ということにならないか。歴史上、東ヨーロッパの非ユダヤ人が大量にユダヤ教に改宗したという話も聞いたことがある。この点に詳しい方がいたら、教えを乞いたい。

 ということで、「ユダヤ人」と言うとき、現代はそれほど単純でない、多重な意味をもってしまう。いくつかの意味を並べてみる。

(1)現在のイスラエル国籍の人々(血筋でない。非信仰者や名だけのユダヤ教徒も含む)
(2)世界に散らされる前の聖書に登場する歴史上の人々
(3)ヨーロッパで迫害を受けてきた人々(民族。中世以前の概念)
(4)血筋によるユダヤ教徒(今日まで異教徒、他民族と混血してない人々)
(5)ユダヤ教を信じる人々。(アジア人もアフリカ人も含む)

 私たちはたぶん、以上の意味を、そのとき、その場で使い分けて使っているように思う。現在のユダヤ人は、歴史的にも血筋でも複雑にして多様。ナチスの迫害を受けた当時でさえ、すでに他民族と結婚、混血していたのだから。

 日本人で聖書を読んでいる人は、二千年の歴史をすっとばして(2)-(4)を一緒にして現在のイスラエル国籍のユダヤ人がそうだと、素朴に考えているのではないか? 私なんか、へたするとずっとそう考えてきたかもしれない。

 では、ここで神学的な考察だが、現実の多様性、複雑性を認めるなら、2000年前の聖書の世界を、現代の地理的、民族的領域に当てはめて適用することに実質的な意味はあるのだろうか?

合理的な結論では
 以上を考察し、最大公約数として考えると、現在においては、国籍や血筋でなく、「ユダヤ教を信じている人たちが『ユダヤ人』」という理解が、いちばん合理的的に思える。つまり、(5)だ。(ユダヤ教徒といっても、超民族主義の人から名だけの人までと幅広い。信徒であっても、超保守派、保守派、改革派、穏健派といる)。だから、イスラエル国籍の人は、「イスラエル人」と呼ぶほうが正確ではないか?
 つまり結論は、現代では「ユダヤ教を信じていれば、日本人もユダヤ人」ということになる。変かな~。

 そして、私たちでさえ、西洋の絵画、映画で植え付けられた「イエス・キリストを含めた聖書の登場人物は白人」という強烈な印象は、もしかしたら間違っているかもしれない。
 たぶん聖書に登場するイスラエル民族、ユダヤ人は、もっと日本人に近いかもしれない有色人種、中東人、アジア人ではないだろうか。(きっと先人の研究に、こうした指摘はあるはず。ユダヤ人は鼻が大きいとかの現代人の抱くイメージもじつは偏見で、旧約、新約時代のユダヤ人の外貌はそれと異なっていたかもしれない)

 もしそうだだとすれば、「聖書の世界は西洋の宗教」という日本人の「思い込み」は、大きく変換されるべきではないだろうか。
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「神の国の福音」は誰に語られたか?

 2009-03-17
 今月の初旬、研修会に参加したのですが、そこで講師から学んだことを少しまとめてみます。「神の国」についての学びでした。
 イエスが伝えた中心的な教えである「神の国の福音」が、今日、あまり教会で語られないのはなぜか、そして、その性質は何かということでした。たしかにそれは興味深い事実です。

歴史的にも少ない
 初期キリスト教の精神的遺産として伝えられているもので、まず第一に挙げられるのは「信条(信仰箇条)」です。「信条」とは、信仰の基本を短くまとめて言い表したもので、ニケア信条が代表的なものです。
 異端問題へ対処するために、大きな会議が何回も開かれ、取り決められました。ただし、改訂版を含めていくつかある「信条」の中で、「神の国」について触れているものはたった一個(!)だけということです。

 つまり、ローマ帝国下のキリスト教会に始まって、今日の世界のキリスト教世界に大きな影響を与えているアメリカの教会からも、失われているというのです。「神の国」というメッセージが真剣に受け止められたら、「外国に十字軍を派遣するという発想は生まれなかったのでは」と講師が指摘しました。
 私としては、完全に忘れられたということでなく、「強調されなくなった、注目されなくなった」ということだと思います。教えの本質は、いろいろ形で信仰者の生活に浸透していると思うからです。ただ、「神の国」という世界観は、まだあまり・・・と思えますが、どうなんでしょう?
 (イエスの伝えた「国」とは、国境で区切られた地域でなく、神の統括が及んでいるところという意味)

イエスの宣教の中心的な指針
 イエスは新約聖書のなかで、100回以上言及しています。イエスの公の活動は「神の国の福音」を伝えるためでした。マタイ4:23では、「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」とあり、ルカ4:43では、「イエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから」とあります。

 主の祈りの冒頭にも「御国を来せたまえ」と最初に出てきます。イエスの復活後、40日にわたって弟子たちに「神の国」(使徒1:3)を教えたとあります。

神の国の福音を聞いたのは誰か
 イエスは活動の初期、パブテスマのヨハネから洗礼を受けてのち、悪魔からの誘惑を受け、その後にナザレに帰り、さらにガリラヤ地方のカペナウムに引っ越しました。これは、マタイ4章に書いてある以下の言葉のとおり、旧約の預言の成就です。

「『ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った』(イザヤ書の引用)この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』

「異邦人のガリラヤ」とあるように、この地域には、かなりの異邦人、異教徒が住んでいました。
 続く、マタイ4:23-25、5:1では、「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをいやされた。こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。
 5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。


 この聴衆は、ここにあるように、「ガリラヤ(異邦人が住む)、シリア全体(異邦人の国)、デカポリス(アレキサンダー大王の軍隊が進駐し、異教徒が作り、住んた10個の町。ギリシャ語→デカ=10、ポリス=街)、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸」から集まりました。
 この群衆の前で、あの有名な「山上の説教(神の国の福音)」が語られたのです。当時の地域的特徴を見て、聴衆の3分の2(!)は異邦人(異教徒=ユダヤ教徒でない)だったのではないかとの見方があります。

ユダヤ教徒に評判がよくなかった「神の国の福音」
 「神の国の福音」は、当時のユダヤ教徒に嫌われたようです。その証拠に、そのことによってイエスが逮捕される原因にもなりました。
 こうした当時のユダヤ教徒の反応に、イエスは、嘆き悲しんでいるのがわかります。

「ああコラジン、ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。 カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう」(マタイ11:20-24)

 コラジン、ベツサイダ、カぺナウムは、当時、ユダヤ教徒が多く住む町。ツロ、シドンは、異邦人が住む町だったのです。決定的な言葉は以下のようです。
「だからわたし(イエス)はあなたがた(当時のユダヤ教徒)に言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます」(マタイ21:43)

異邦人こそが福音を聴く
 こうなってくると、当時からイエスは、同胞のユダヤ教徒にまず第一に伝えたかったものの、「神の国の福音」は異教徒、異邦人こそが受け入れ、その祝福を享受する人々であると分かっていたと言えます。

 つまり、非キリスト教の影響が支配的な日本の私たちも、「異邦人」「異教徒」なわけですから、イエスの福音は最初から、私たちに向けても語られていたことが分かります。
 そういう角度から改めて「山上の説教」以降の「神の国の福音」を読んでいくなら、これまでと、ぐっと異なった音色で聴こえてくるのではないでしょうか。 (引用聖句は新改訳)

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