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簡素に生きるという修練

 2012-11-09
 昨年の『風の色』(クリスチャンライフ研究会発行の会報)に書いた、リチャード・フォスターから学んだ霊的修練のシリーズ。
 物質的には豊かな社会に生きている私たちにとって、繰り返し心すべき生き方ではないでしょうか。
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イエスの警告とそれにまつわる落とし穴
 キリスト者の霊的遺産に光を当てたR・フォスターの名著を参考に、今回取り上げる霊的修練は、簡素(質素、単純、素朴、シンプル)な生活。
 これはイエスの示された教えであり、古代から修道者によって追求されてきたライフスタイルだった。ただし、禁欲主義、律法主義に陥る危険性がつねに伴った。「神と富とにかね仕えることはできない」というイエスの警告を含め、聖書には貪欲への戒めが多い。現代は、神以外のものに深入りする各種依存症が社会問題になっている。また、さまざまな嗜好品、次々と現れる新商品によって、過剰な消費への誘惑に囲まれている。一方、簡素さを求めるあまり、律法主義、禁欲主義に陥るのは、この世界を造られた神のみこころから離れることになる。創造主は、生活の楽しみ、物質や快適さの適切な享受を祝福しておられる。

神との関係からスタートする
 簡素な生活は、「神の国とその義」を日々選び取っていくことから始まる。そのためには、「何かすること」「何かであること」以前の、神の前での沈黙が必要だとフォスターは言う。つまり、神との関係、心のあり方からスタートすることだ。所有物を少なくしたからといって、それが簡素さの指標ではない。
 ルターはこう言った。「もし私たちの所有物を他の人と分かち合えないなら、それは盗品である」。神の国を第一にしていくなら、さまざまな執着から解放される。明日への不安、恐れは去り、神からの日々のケアを信頼できるようになる。

恵みとしての所有物
 そのとき、次の三つのことが個人の内面で起こるとフォスターは指摘している。1)所有物を神からの賜物として受け取る。2)所有物の配慮と守りは神からくると知るようになる。3)他者と所有物を分かち合うことができる。自らの労働の当然の果実として所有し、享受するのでなく、それさえ神からの恵みとして受け取る視点を養うことは、神がどういうお方かを、生活と行いで証しすることになる。

それは日々の修練
 飲食、衣類(おしゃれ)、嗜好品、テレビ、インターネット、娯楽、書籍、労働時間、電力、燃料の使用等、いつの間にか神以外のことを心の拠り所にしていないだろうか。それゆえ、「空の鳥、野の花」に目を向け、心の内の衝動、不安と向き合い、神を日々見上げる修練の実践が大切になってくる。

参考:リチャード・フォスター『スピリチュアリティ』(日本キリスト教団出版部)
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