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牧師の妻をどう活字にするか?「牧師夫人」か「牧師配偶者」か?(試論)

 2014-06-10
 近著『牧会相談の実際ーカウンセラーと共に考える』の第四章のブックガイドに25名の方に推薦図書を書いていただきました。

 そのとき、ハタと困ったのは、寄稿くださった牧師夫人のタイトルです。活字でもそう表示してもいいのだろうか?と。
 キリスト教界では、牧師の妻を「牧師夫人」と呼び習わしてきた伝統が長く、とくに私の関係する福音派では、その習慣が強いです。通常の会話において第三者が言うのはいいですが、自分のことを「牧師夫人」と他の人に言う、あるいは活字にするのは正常な日本語でしょうか? これは業界内だけの用法である可能性が高いです。「夫人」は通常、社会的地位、身分の高い婦人を他の人が呼ぶときの尊称ですから。そして、さまざまな立場の人が読む可能性がある本の活字にする場合、そのような自称(タイトル)は適切でしょうか。

牧師夫人は職位か、地位身分か、妻か?
 所属団体によって異なりましょうが、「牧師夫人」とは多くの場合、職位でなく尊称です。そして、牧師と結婚した女性は自動的に「先生」と呼ばれるようになるため(日本では)、周りから、ある働きや存在感が無言で期待されます。他の人とは「身分が異なる」ように見られます。

 さらに複雑にしているのが、多くの所属団体は牧師の妻を「職位、身分」として正式に認めていないのに、「牧師夫人」にふさわしい言動を牧師の妻に期待し、そのための研修も行われてきた歴史があります。

 奇妙なことに、妻が牧師である夫の場合、「牧師夫君」「牧師主人」とは呼びません。「牧師旦那」と呼ぶ人もいるようですが普及するでしょうか。そして牧師の配偶者が男性の場合、女性に求められる役割を期待することはないでしょう。男性ですから、と。会社勤めしているのがほとんどでしょう。

 しかし、職業を持つ女性が牧師と結婚した場合、「牧師夫人」となるために、仕事辞めねばならない場合があるようです。職業をもったままの「牧師夫人」は、受け入れられない気風があるようです。「牧師夫人」の働きは、職業婦人にはできないと思われるからです。ですから職業についたままの妻は(アルバイトもしにくい)、たとえ本人が名乗っても、(良し悪しは別として)信徒は「牧師夫人」と受け止めないでしょう。

 そして「牧師夫人」は通常、教会でのたくさんの仕事が期待されていながら、教会はその労力の対価を払っているとは聞きません。職位ではないからです。

 では、どう理解したらいいのでしょうか。ひとつ考えられることがあります。つまり、「◯◯組」や「相撲部屋」の「おかみさん」のように、その集団の無給の母親的存在を期待されるということです。これは言葉にしたり、条文化したりする必要のないほど「あうんの呼吸」「当たり前」の日本文化です。

牧師の妻に期待されるステレオタイプ
 これは長い間の男性中心文化の影響と思われます。つまり、牧師とは男であって、その妻はつねに教会堂にいて、行事を支え、相談にのり、茶菓を出し、ときに行事の間、子供の世話をし、人がいなければ日曜学校の教師をし、奏楽をし、会堂の掃除もして運営を支える「べき」という根強い思い込みがあると思われます。

 その「牧師夫人(身分)」に同意して、あるいは自分の使命とし、その扱いを周りに求める方はいいでしょう。しかし、そうでない方もいます。結婚したあとに夫が牧師になった場合などが典型です。
 
 日本に、これとそっくりなシステムがあります。仏教のお寺です。結婚相手が寺の住職である場合、妻としての働きが自動的に期待されるのとそっくり同じ。僧侶が既婚女性である寺もあるかもしれませんが例外で、ふつうは住職資格があったとも、跡継ぎで後継者がないかぎり、一般人として暮らすほかないでしょう。
 いまや僧侶と結婚する女性も限定されてきます。ですから結婚の条件に、「新居は寺と別なマンションで」と求める女性がいるようです。寺に住んで、接客やお茶出しをしない、ということですね。そこで夫は寺に住まず、マンションから通勤ことになります。

時代は変化した
 時代は変化し、結婚が多様化しています。福音派では考えられないことですが、牧師の妻が非キリスト教徒である場合も出現しているようです。

 牧師を配偶者を持つ場合、「牧師夫人」「牧師主人」(役割)を受け入れる人もいれば、それを断りたい人もいるでしょう。結婚相手が、たまたま牧師であって、自分は一信徒だと理解する人も増えているでしょう。
 キリスト教の本家の欧米は(信者は激減していますが)、それが普通だと思われます。夫は牧師であっても、自分はただの妻、1会員にすぎないというスタンスです。

 そこで、活字にする場合、何か中立的なタイトルになるだろうかと、あれこれ考えた結果、ある教派グループでは常識となっている「牧師配偶者」という呼称を『牧会相談の実際』では採用しました。これなら結婚相手が男性か女性かに関係ありません。

 日本の主流派キリスト教では、もはやそれが常識で、「牧師夫人」と呼ばれるのを本人が拒否したり、それを女性のタイトルとするのは、かなり前に廃れたようです。
 
 下の本の英語のタイトルは文字どおり『はい、私は牧師の妻です』(ただの妻よ)なのに、日本では意味が変化して『はい、私は牧師夫人』というタイトルになっています。日本のお国事情だからでしょう。(内容が日本語のタイトルと合っているといいですが。)
 
はい、私は牧師夫人はい、私は牧師夫人
リア・マラシガン・ダーウィン 山下 章子

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