対談:『クリスチャンであるとは』発行後、半年たって(2)

 2015-12-17
話し手:上沼昌雄(訳者。聖書と神学ミニストリー代表。神学博士。在カリフォルニア州)
   取材:小渕春夫(編集者、あめんどう代表)
日時:2015年12月10日

(記事中「本書」とは『クリスチャンであるとは』を指す)


旧約におけるイスラエル民族の位置

---本書の翻訳出版はあしかけ3年かかりましたが、上沼さんの聖書理解において、
何か大きな意識改革がありましたでしょうか?

〈上沼〉まず目が開かれたのは次のことです。神はご自分が創造した世界を
救出するためにアブラハムを選び、この世界に遣わし、契約を結びました。
 しかし、彼と、それを引き継ぐべき子孫、イスラエルの民自体が、救出を必要とする
存在になってしまったという指摘です。「神はどうしたらよいのだろうか」という
N.T.ライトの問いが、何度か本書に出てきます。それに対し、神ご自身がうめいておられること、
それは闇とは言えないにしても、N.T.ライトの神学全体が、それをとても重要視して
いることに気づきました。

 それと闇について書いた拙書『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』(いのちのことば社)が、
私のなかで結びきました。今回、日本に行って、自分から言わなかったのに、
それを指摘してくれた方がいました。それが、私個人にとって一番大きな発見でした。

---ほう、そうですか。個人的神学遍歴というか、上沼神学と結びついたのですね。


歴史的な反ユダヤ主義との対峙、闇の問題

〈上沼〉あとは本書の第6章「イスラエル」で、N.T.ライトが反ユダヤ主義について
書いていますね。ライトは欧州人としても、キリスト教二千年の歴史のなかで、
その闇をきちんと見ていることへの気づきも大きかったです。

---それが、上沼さんが前から影響を受けているユダヤ人哲学者、レヴィナスの思想と
結びついたのですね。

〈上沼〉はい、そうです。私はいわば、レヴィナスを通してN.T.ライトにたどりついた
面があります。
 レヴィナスはユダヤ人哲学者として神の民の歴史を見たとき、その背景に神のうめきを
聴き取っているのではないかと思います。
 これはあくまで私の個人の関心事なのですが、いつか自分でまとめてみたい気がします。

---ユダヤ人として生まれ、その歴史的背景で活躍したイエス・キリストの存在。
欧州に根強かった反ユダヤ主義、20世紀のホロコーストの言語に絶する恐ろしい虐殺の現実。
それに対するN.T.ライト自身の神学者としての苦悩。なぜ欧州のキリスト教会が反ユダヤ主義
を容認したか、いや生み出したか、という深刻なテーマがありますね。

〈上沼〉本書12章「祈り」で、ローマ8章の御霊のうめき(P.229)をとても重大なもの
として書いていることは注目してほしいです。その重大性が、私のなかで明確になってきました。


創造と新創造という大パノラマ

---ほかにも、大きな意識改革と言えるようなものはありましたか?

〈上沼〉最初に触れましたし、何度もセミナーで触れたことですが、創造と新創造という
大パノラマです。それは、私にとっても大きな意識改革になりました。そして、この世界で
生きることために、もう少しそれを分かりやすく解説する必要があると思いました。

---そこには、西洋的キリスト教に深く混入しているギリシャ的二元論、とくに日本の福音派
に深く浸透しているある種の終末論、聖書解釈、その適用の捉え直しが含まれてきますね。
それらとどう対峙し、それを克服していくか。

〈上沼〉そのとおりです。それは大変なことですが、自覚的に取り組んでいく必要があります。
N.T.ライトが言う「天と地が、重なり合い、かみ合っている」という意味を真剣に捉えていく
必要がありますね。校正MG対談


日本伝道会議のC.ライトとN.T.ライト

〈上沼〉ところで、来年の九月に神戸での日本伝道会議で、
もう一人のライト、同じイギリスの神学者クリストファー・ライトが
招かれていますね。彼の神学思想であるミッション・オブ・ゴットについて
の論説が、最近、米国の福音主義を代表する雑誌「Christianity Today」11月号に掲載されていました。

---日本では数年前、その邦訳『神の宣教』第一巻(いのちのことば社 2012)が出ました。
そして、次の日本伝道会議に合わせて残りの二つの巻が出るのではないでしょうか。
 世界的にすごく評価の高い本ですよね。第三回ローザンヌ会議(ケープタウン 2010)の主講師で、その後の来日に合わせて上巻が翻訳出版されたと聞いています。


〈上沼〉N.T.ライトもミッション・オブ・ゴットについて講演しています。
ほとんど内容が同じなのです。クリストファー・ライトは、ミッション(宣教)と
エシックス(倫理)を結びつけています。アブラハムの神からの召し出しがミッションの
始まりであり、中核であるという理解です。CT誌を読みながら、それにN.T.ライトの神学的展望を
合せて紹介できたらと思いました。

---教会が担うミッションをどう捉えるかですね。牧会もそのなかに入ってくるでしょう。
「神の宣教」と「創造と新創造」の大パノラマが結びつき、それが私たちの生活での実践と結びつく。
そうなれば、知的理解にとどまらないかという懸念のブレークスルーになりますね。


「ストーリー」か「物語」か?

〈上沼〉12月に出るNTPGでは、Storyの訳語に「ストーリー」を採用しているようです。
今回のN.T.ライトの本でも、「ストーリー」か「物語」か、何度も討議しましたね。
 今回は意図して「物語」とし、類語であるNarrativeはカタカナで「ナラティブ」としています。
今後どちらに落ち着くか興味をもっています。小渕さんはどう思いますか?

---私は学者でないので、はっきり言えませんが、一長一短があるにしても、今は「物語」でも
「ストーリー」でもいいと思います。「物語」にまだ戸惑う人もいるようです。
『竹取物語』のように、作り物という印象を強く受ける人がいるのです。
 これは、時間をかけてどう浸透していくかだと思います。さまざまな文脈で用いられて、
どちらかに落ち着いてくるのではないでしょうか。

〈上沼〉哲学の分野も、20世紀的なシステム思考が崩れてしまったいま、次には「物語」
がくるとして、すでに使用されています。一般で影響力の強い村上春樹も頻繁に「物語」を、
小説だけを指すのでなく、現実の人生を表すのに使っていますね。
(続く)
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カテゴリ :N.T.ライトの神学思想 トラックバック(-) コメント(0)
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