新年対談「N.T.ライト元年を振り返って」(1)

 2016-01-18
話し手:小嶋 崇(聖泉キリスト教会牧師。N.T.ライト・セミナー主催者)
聞き手:小渕春夫(あめんどう代表)
場所:聖泉キリスト教会の工房にて
(取材は昨年12月です)

──こんにちは。お時間を取ってくださりありがとうございます。
 ご近所に、つい先日ミシュラン一つ星を獲得したラーメン店があって話題ですね。
 帰りに店を見て帰りたいです。(笑)

 さて、昨年は小嶋先生が「ライト元年」と名づけたことを覚えています。先生が呼びかけ人の一人であるN.T.ライト・セミナーが、昨年10月に四回目(年一回)を迎えました。これまで、かなりの人が参加しましたね。そして昨年末、ライトの主著『新約聖書と神の民(NTPG)』(新教出版)も出版を迎えました。いま、どんな感想をお持ちですか?


波紋状に広がっている気配とライトへのかすかな警戒感

〈小嶋〉ライトを知る輪が波紋状に広がっているのを感じます。同時に、それを警戒する声もかすかに聞こえてくるのが興味深いですね。
 『クリスチャンであるとは』に対するというより、ライトの神学一般が今後、浸透してくるという想定のもとでの反応ですね。神学会レベルもありますが、一般レベルでもネット上に少しずつ出てきているのが分かります。

 正面からテーマにならなくても、しばらく前から日本の神学会でライトの名前がよく口にのぼるようになったといううわさを聞きます。注目すべき人物だという認知が、あちこちに広がっているようです。

──アジアの英語圏でもライトはすでに充分知られているでしょうし、欧米の有力神学校でライトは必読書でしょう。一般信徒にとっても信徒向けの本が英語圏でずいぶん普及していますし、YouTube上では、彼の講演の動画がたくさん視聴できます。

 Facebookで知り合った米国在住の日本人女性がいます。国際結婚をしていらして、二人の娘さんがいますが、二人とも東部のキリスト教系大学で学んでいます。
 そこの学生は『クリスチャンであるとは』が必読書だそうです。邦訳が出たということで娘さんに「知っているか」と聞いたら、二人ともすでに持っていて、「ママも読んだら?」と薦められたそうです。

 さて、警戒の声を上げる人もいるようですが、その反応は無理もないことなんでしょうか?
 義認論、救済論、無誤論、史的イエス研究との関係で警戒しているのでしょうか? 

〈小嶋〉無誤論などは、一部の人の話題になっていますが、他のことでの警戒は、ライトの神学全体に対するものというより、個々の具体的な争点のことですね。英語でかなり読める人は、どういうわけかあまり問題にしない。かなり高度なアカデミックな議論になるので、一般的向けに議論しなくていいというスタンスだと思います。

 つまり、ライトを広く読んで知っている人ほど、あえて金切り声をあげて警戒する人は少なく、より狭い関心領域にこだわる人が「危ない」と言って赤旗を挙げたり、黄色い旗を挙げたりするのでしょう。

──新しいものが入ってくるときは、全体が見えず、得体が知れませんものね。
でも、どういうわけか何十年も日本に紹介されてきませんでした。
 当社が『クリススチャンであるとは』を出版したのは、出版社として著者の神学を何もかも理解し、全面的に賛同したからというより、必要とされているのに日本では読めないという危機意識からです。
 発行者の私も、一読者として「果たして本当だろうか」と、勉強しているプロセスにいます。

〈小嶋〉警戒する人のだいたいは間接情報で判断していますね。直接、ライトの専門書を読んで反論している人は少ないです。自分が信頼している欧米の人の反応を見て、それに影響されている。
 まあ、ある程度の彼のファンでないと、彼の専門書を時間をかけて深く読まないですからね。


インターネットの威力

th201601191449342.jpg──小嶋先生はインターネット上で、何年も前からライトの論文を訳して載せています。いつごろからなさったのですか?
 関心を持って学んでいる方は前からいるにしても、誰でも読めるように紹介した意味では、先生は日本での開拓者ですね。
 私は何度かそのサイトを読もうとしたのですが、なかなかむずかしくて。

 ただ私は、Facebook上の読書会を通じて、少しずつ彼の神学になじむことができました。それでもまだまだですが。(画像は「N.T.ライト読書会」)


〈小嶋〉サイトにライトの翻訳文を載せるようになったのは、2007年からです。
 インターネットのブログとか、英語圏のスタンダードは、だいたいどれも無料で公開しています。フリーで閲覧できる。世界の学者は、自分の成果をどんどん読んでもらいたいからでしょう。

 その精神を受け継いで、サイト上だけで読んでもらってよいという条件で許可を得ました。ですから、たとえ個人用でもプリントして読むのは違反なんです。
(閲覧のみ許可はThe New Dictionary of Theology=新神学辞典の四つの論文。他のものはコピー自由)

──ネット掲載を始めたのは、ご自身が学びたいのがきっかけですか?
 ライトから学んだ知識を分かち合いたいので、そうしたのでしょうか?

〈小嶋〉サイトに載せたのは私がライトを読み始めてから7、8年たってからです。そのあいだ、「この学者は、すぐに大きく取り上げられる人だろう」と想定していました。しかし、いつまでたっても話題にならないのです。日本で書かれたり研究されたりして当然なのに、いつまでたっても始まらない。これは、何かあるのだろうか? おかしい。何かがじゃましているのだろうか? ということで取りあげ始めたのです。


Facebookでのライト読書会での学び

スクリー59──彼のことをもっと学びたいと、実際に顔を合わせての読書会もすでにスタートしていましたね。
 数年前からのさっき話題にしたFacebook上の読書会も始まって、いまは190人くらいのメンバーになりました。(画像はFacebook上の「N.T.ライトFB読書会」)

〈小嶋〉はい。関心のある仲間が集まってのリアル読書会のほうが先でした。ライトが使っている神学用語を理解しようということで、二人くらいで翻訳を読み合わせることから始まったのです。

──出版社としては、世界に影響を与えている神学者であると分かっていたのですが、まだ神学思想がつかめない。でも、2012年の3月くらいから始まったFacebookの読書会で、ようやく具体的内容に触れることができました。
 最初は「How God became King」、次に「Surprised by Hope」(邦訳進行中)を原書で読んだ人が感想を交換し合っていましたね。
 私はおもに読むだけの参加でしたが、そこで徐々に目が開かれてきました。

 そこで、欧米を通してキリスト教思想に滲みこんだギリシャ的二元論、やはり欧州発祥の啓蒙思想からくる文化的影響が、キリスト教会や自分にも根深く及んでいることを知り、驚きました。
 ライトを理解してくると、そうした歪みの皮を一枚一枚はがしていくような感じがします。そして紀元1世紀に書かれた聖書の世界に迫って、聖書全体を整合性をもって見始めるようになる。そのことで、自分のうちでも未解決ないくつかの問題に光が当てられました。そういう意味で、ライトの神学は非常に魅力的ですね。

〈小嶋〉ライトを読んで最初に感じるのは、それがいちばんのポイントではないでしょうか。キリスト教がいかにギリシャ的二元論に組み込まれているか、その問題を知って霧が晴れるように元々の聖書の世界が見えてくる。それが、いちばん印象づけられると思います。今後、翻訳出版される「Surprised by Hope」は、まさにそれを扱っていますね。
(続く)


関連記事
カテゴリ :N.T.ライトの神学思想 トラックバック(-) コメント(0)
タグ :
コメント












管理者にだけ表示を許可する
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫