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(紙上対談)新刊『風をとらえ、沖へ出よ』の訳者に聞く

 2017-02-23

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今年1月に発行されたチャールズ・リングマ著『風をとらえ、沖へ出よ』。
書評が「キリスト新聞」、雑誌「ミニストリー」に掲載されました。
そこで訳者の深谷氏に、紙上インタビューということで、いくつかの質問に答えていただきました。本書を読む上で、参考にしていただけたら幸いです。

 訳 者:深谷有基(フリーランス編集者、執筆者)

インタビュー:小渕春夫(あめんどう)

 

はじめに

——完成した本を目の前に、いまどんなお気持ちですか?

深谷 ようやく「出帆」したな、と。もっとこなれた訳にしたかったですが、それではいつまでも出ないので、あとは読者の皆さんに補っていただき、議論のきっかけになればと思います。この本が著者も驚く形で日本語訳になったように、この日本語訳が訳者も驚く形で沖へ出て航海を進めていくことに期待しています。

 

——訳者としてはカタカナをできるだけ避けたい気持ちがあったと思いますが、「オルタナティブ」「エンパワーメント」「インフォーマル」「ミニストリー」などあえてカタカナのままにしたようですね。そのへんの苦労はいかがでしたか?

 

深谷 非常にもどかしかったです。辞書的に訳すともう一つの意味が抜け落ちてしまうとか、あるいは日本語だと違うイメージになってしまうということがあり、かといって補足していくとまどろっこしくなってしまうし。

 

どうしたらしっくりした日本語になるのか、ここはひとつ読者の皆さんにもご一緒にウンウン悩んでもらいたいです。それ自体が、「文脈化」の作業だと思うので。あるいは、翻訳を超えて、すでにある日本語のなかでもっと相応しい言葉に置き換えてもらえれば、なおよいかもしれません。

  

著者について

——リージェントカレッジでリングマさんの授業を受けたそうですが、どんなお人柄ですか?

 

深谷 私は彼のサマーコースしか受講していないので、お人柄をそこまで深く知らないのですが、わりとひょうひょうとした人だなと思っていました。あとはとにかくスタイリッシュで、こういう風に歳をとりたいなと思いました。

 

むしろ、翻訳作業のなかで、彼の人柄を知ったという感じです。この本を読めば、彼の人となりが多少なりとも、うかがい知れるのではないでしょうか。

 

本書の推薦文を書いてくださったジェームス・フーストン先生から教えてもらったのですが、リングマの家族はナチス占領下のオランダで地下に潜ってレジスタンス運動をしていたとのことです。それを知って、本書にあふれている彼の反骨精神について妙に納得しました。

 

本書の特徴
——詳しく書いたら専門書並みの厚い本になってしまうところを、簡潔に、わかりやすくまとめられています。過去のさまざまな神学者の意見、世界の共同体形成の多様な取り組みの姿も垣間見ることができます。日本にいると、なかなかわからないことばかりです。

 

深谷 本書がユニークなのは、抽象的な「教会論」を限りなく排しているところですね。その代わりに、教会内ではこれまでほとんど考慮されてこなかった社会科学的な視点で、しかも一般向けに共同体を見直してみようというわけです。これは西洋キリスト教界のなかでも希有な視点だと思います。日本にいるから、わからないという話ではないと思っています。

 

 ——現代人をとりまく文脈をよく理解し、その必要に応えることに関して、教会は社会に遅れをとっているのではないかという危機感も述べられていると思いますが。

 

深谷 これは日本のキリスト教史とも関係するでしょうが、そういう事態に陥る背景として、教会の使命を福音宣教か社会運動かの二者択一で捉えてしまうという問題があるのではないかと思います。どうしたら教会はそのような不毛な議論から抜け出し、時代や社会にさきがける変革の旗手となれるのか。リングマが指摘するように、聖書やキリスト教史の読み直しがどうしても不可欠だと思います。

 

——既存の形に不満を抱いてオルタナティブなあり方を求めても、やがてそれも形式化しうる。どんな形であろうと、その中心に何があるかが重要であり問われる、というのが本書の主眼だと思います。

深谷 この本が翻訳に値すると思ったのも、まさにその点です。リングマがリージェントの講義でも言っていた印象的な問いがあります。教会は“center-centered”(中心とすべきを中心とした)になっているか “marginal-centered”(周辺的なことを中心とした)になっているか、というものです。私たちは前者を自認していながら、ふと気づけば後者になっていることが多い。いや気づかないことのほうが多いでしょう。それを自覚することってじつはすごい難しいし、痛みを伴うことだと思います。「預言者」が迫害されるのもそのためでしょう。人間がつくるいかなる集団も正統化・正当化しえない、と常に確認しつづけるしかないんでしょうけれども、これがなかなか……。


本書で使われている用語について

——いくつかのキーワードが出てきますが、そのなかからいくつか短く説明していただけませんか。

 

教会員の疎外とは教会組織の自己存続が優先され、肝心のメンバーの課題や、すでにそれぞれがしている「ミニストリー」が置き去りにされてしまうという本末転倒(すでにパウロがさんざん手紙で怒っていることですが)。

 

庇護体制とは「あなたは私の庇護が必要だ」という大義のもと、人々に権力と責任を付与せず、いつまでも従属させておこうとする体制。教会は霊的にもこうした力関係を迫るので、なおさらやっかい。

 

意図的共同体——Intentional communityという用語そのまま辞書的に訳しているのですが、そもそも共同体は意図的に形成するものではないのかと思われるかもしれません。たしかにそうなのですが、やはり気づけばそうでなくなってしまうのが人間集団の性質かもしれません。まさにパウロが第一コリント書、とくに12章で教会共同体を「からだ」にたとえて提起している問題です。実際の、とくに経済面も含む日常生活において、「一つのからだ」であるか、と自覚的に、定期的に確認し合うことを前提にした共同体と言えばよいでしょうか。



真のチャレンジとは

——さて、深谷さんは東日本大震災の復興支援の働きもされたそうですね。そこから見えた、地域に開かれた教会のあり方など教えられたことがありましたら、少しお話ください。

 

深谷 こちら側の都合である狭義の「宣教」を優先させてはいけない、ということでしょうか。地域の町内会や福祉行政、NPOなどとも連携して、まず教会が置かれている地域の現状と必要をよく理解することが決定的に大事だと思いました。そもそも教会員も地域に暮らす人々ですから、その人たちにまず聞くだけでもぜんぜん違うでしょう。その上で、地域の人々と信頼関係を築くことができれば、自ずと使命は見えてくるはずです。ですが、真のチャレンジは、そこに留まらず、その使命のために自らのあり方を「具体的に」変える信仰を持てるかどうか。それがまさにリングマの提起するチャレンジでもあるかと思います。

 

今日は、貴重なお話し、ありがとうございました。

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