『驚くべき希望を』読むために(概要を知る)

天国、地獄、煉獄、復活、再臨、さばき、携挙、
新天新地と教会の使命等。長い間の論争に挑み、
1世紀のキリスト者の世界観を現代によみがえらせる。
著者 N. T. ライト
訳者 中村佐知
四六版 並製
定価 2,900円+税
いよいよ、N.T.ライトの著作で最も話題を呼んだ邦訳の発行です。かなりの頁数です。読むのがしんどいと思われる方に、著者をよく知る神学者より全体の概要の紹介を書いていただきました。本書の巻末に掲載されています。全体像をつかんで、この刺激的な本書を読んでみてはいかがでしょうか?(横書きに当たり、小見出しをつけました。)
『驚くべき希望』解説
山口希生・ライト『新約聖書と神の民』〈上・下〉訳者
日本同盟基督教団中野教会伝道師
本書はN.T.ライトの著作の中でも最も広く読まれ、また大きなインパクトを与えた一冊です。本書の内容を知るには本書そのものを読むのがいちばんで、それに解説を加えるのは「屋上屋を架す」となる恐れがあります。しかし、500頁近くにも及ぶ大著であることから、ガイドのようなものがあったほうが読者の方々のお役に立つのではと思い、本書の内容をかいつまんで紹介させていただきます。
主題の一つは「復活」
本書の主題を一つ選ぶとするならば、それは「イエスの復活」です。西洋のキリスト教の伝統において、最も重視されてきたのは「十字架」でした。十字架のない教会はほとんど皆無であることから、このことは自明でしょう。それに対して「復活」はどうでしょうか。あまり復活を強調しない教会も少なくありません。キリスト教各派の中でも特に福音派では、復活の史実性は非常に強調されます。しかしその場合でも、救いの教えにおいて中心を占めるのは十字架であって、復活ではないといっても言い過ぎではないでしょう。それに対し、本書では「復活」の救済的意義が徹底的に掘り下げられ、新たな光が当てられます。
第3章と第4章ー復活の史実性
まず、復活の史実性について論じられているのが、第3章と第4章です。ライトはThe Resurrection of the Son of Godという700頁以上もある学術書で、「イエスの復活」の史実性を強力に擁護しましたが、その重厚な議論のエッセンスがコンパクトにまとめられているのがこれらの章です。本書の中では最も護教的な議論と言えますが、そのようなテーマに関心がある方はこの二つの章をじっくりと読まれるとよいでしょう。
第1章と第2章ー英国における死後の世界の捉え方
次に、本書冒頭の第1章と第2章ですが、ここでは現代のヨーロッパ、特に英国における人々の死後の世界についての捉え方が紹介されています。英国ではクリスチャンの間ですら、すべての信仰者が「復活」するという信仰が希薄になっており、むしろ死後に魂が「天国」に行くことがクリスチャンの究極の希望として受け入れられているという現状が指摘されます。ここには肉体を「魂の牢獄」と見なし、死によってそこから解放されて霊的な至福の世界(「天国」)に行くことが救いであるとする霊肉二元論・プラトン主義の影響をはっきりと見いだせます。
第5章以降ー復活の重要性
では、なぜ「復活」がクリスチャンの希望においてそれほど重要であるのかが論じられているのが第5章以降です。ライトは、イエスの復活の意義を個人的なレベルではなく、まずは全宇宙的なレベルで捉えるようにと読者を促します。ライトによれば、聖書が提示する究極の希望とは個々人の救いというよりも、神の創造した全被造物(つまり全宇宙)の刷新にあります。神のヴィジョンとは、神の造られた「良き世界」の破れが修復され、そこから悪が一掃されることを通じて全被造物が贖われることです。人間には、その贖われた世界(新天新地)において果たすべき重要な役割があります。キリストによって贖われた人類は、贖われた世界を忠実に管理する役割が与えられるのです。言い換えれば、アダムが果たせなかった召命を、キリストとその体である教会が果たすということです。「イエスの復活」は、神による全被造世界の刷新プロジェクトの初めの一歩であり、そしてイエスの復活の体こそ、「新しい創造」の始まりそのものです。かつて天地を創造された神は、復活のイエスの体において、新たな天地創造に着手されたのです。
第7章以降ーイエスの昇天、再臨の意義
イエスの復活を出発点として、さらにイエス・キリストの「昇天」と「再臨」の意義を論じているのが第7章以降です。キリストが天に昇ったというのは、キリストがこの世から消え去ってしまったということではありません。むしろ、昇天よって初めてキリストはこの世界を完全に支配することが可能になるのです。いまや復活の体を備えたキリストは、地上にいる場合には一か所にしか存在することができませんが、天に昇ったあとは、体を持ちながらも地上のあらゆる場所に同時に存在することが可能になるからです。ここで重要なのは、天に昇ったイエスは体を持っており、それゆえ人間であるということです。
第8章、第9章ーイエスの再臨と新天新地
第8章では、体を持ったまま天に昇ったイエスが再び現れること、すなわち再臨について論じられます。再臨とは、新しい天と新しい地とが一つに統合される瞬間であるというのです。つまり、再臨が新天新地の完成として理解されています。さらに第9章では、再臨においてキリストがさばき主として来られることの意味が解説されます。さばきという言葉は今日では否定的に取られやすいですが、聖書的なさばきとは「不正をただす」さばきであることが強調されます。
第10章ー体の贖い(「死後のいのち」の後のいのち)
そして第10章では、クリスチャンの「体の贖い」について語られます。これは本書の中核的な章であると言えるでしょう。ライトはここで、「死後のいのち」の後のいのち(Life after “life after death”)というユニークな造語を用いています。クリスチャンが死後にパラダイスに行く、あるいは安息を得ることそのものは否定しませんが、それはあくまで一時的な状態であり、最終的な希望は体の贖い、つまり復活にある、とライトは力説します。復活した体で新しくされた天地を相続すること、それこそがクリスチャンの究極の希望なのです。
第11章ー煉獄、地獄
第11章では、宗教改革で否定されたはずの「煉獄」が形を変えて人々の思考に影響を及ぼしている現状が指摘されます。ライトは煉獄をきっぱりと否定します。地獄については、それがある種の思考実験であることを断ったうえで、慎重な議論が展開されています。
第12章以降ー教会の使命
第12章以下では、ここまでの内容を前提とした上での教会の使命についての考察がなされます。クリスチャンの究極の希望が「死んで天国に行く」ことではなく、「贖われた体で刷新された天地を相続する」ことにあるのなら、では今日の世界でクリスチャンがなすべき務めとは何であるのか、そのことについて論じられます。ライトによれば、この地上で「神の王国」のためになしたすべてのことが新天新地で用いられます。そのことについて、「正義」「美」「伝道」という角度から光を当てます。
第14章では、教会を神の王国の働きに整えるために、聖書がイエスの復活をどのように証ししているのかをいま一度深く味わうように、と促されます。ここでは福音書・使徒行伝とパウロ書簡が取り上げられます。最後に第15章では、復活祭(イースター)をどのように祝うべきかについて、刺激的な提言がなされています。
簡潔ではありますが、本書の内容をまとめてみました。本書には、今まで皆さんが考えてもみなかったような内容も含まれているかもしれませんが、ぜひじっくりと取り組んでいただきたいと願っています。
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