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心を揺さぶる「放蕩息子の帰郷」の朗読(ケセン語)

 2009-11-03

 近年の聖書翻訳で、ケセン語訳聖書ほど、衝撃を与えたものはないでしょう。

 かつてアイヌ民族が住んでいた東北地方は、807年に大和民族に征服されて、何百年の年をへます。アイヌ語なまりの言葉に、関東や関西の言葉が混じっていって東北弁が形成されたそうですが、 とくに明治政府による強力な国策で東京の山手言葉が標準語になってからは、ますます方言が滅びる方向に向かいました。

 関東の影響を受けた北限といわれる気仙沼地方の方言を「ケセン語」と名づけ、聖書翻訳をするために辞書を作り、ついには四福音書のすべてをケセン語に翻訳。
 そのなかで「ルカによる福音書」にある有名なイエスのたとえ話「放蕩息子の帰郷」を音声で聞くことができます。

 感動しました。訳者であり、朗読者である山浦玄嗣氏(カトリック教徒)には頭が下がります。

 意訳し過ぎかとも思われる箇所もありますが、ギリシャ語原典から訳したケセン語の迫力。
 これまで聞いてきた父(神)の愛を表すなじみの物語が、息を吹き返したかのように立体的によみがえってきます。
 なぜか懐かしいような異次元の世界に、しばらく耳をお傾けください。

    ケセン語による「放蕩息子」
 CD付きの本は、ネットからも購入できます。
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コメント
僕も自分の言葉が土台になった聖書が欲しいです。
【2009/11/05 21:06】 | まきと #79D/WHSg | [edit]
うーん、今仕事で韓国にいるんですが、音の流れ(抑揚というのかイントネーション)が、韓国語とよく似ていますね。ほとんど、韓国語と日本語は同種の系統の言語らしいんですが、やはり似てますね。特に、日本と韓国は交流の歴史(不幸なものも含めて)があるので、似ていて当然と思います。
新約聖書のギリシア語も、もともと、普通の会話語なので、こういう役もありと思います。聖書の日本語という鈴木 範久さんの本やKJVが現代英語に与える影響をみていると、聖書と言語の不思議な関係を考えてしまいます。
【2009/11/05 21:41】 | かわむかい #79D/WHSg | [edit]
まきとさん
そうですね。翻訳語であふれ返っている聖書ももう慣れましたが、たましいに届く言葉が欲しいですね。

かわむかいさん
そうなんですか。現在、韓国語のどまんなかにおられての感想ですから、説得力がありますね。
聖書の言葉が与える文化的影響は深いですね。国家と宗教が結びついた時代は、とくに強力な影響を与えたことでしょう。そのような時代はもう来ないと思われますが、過去にさかのぼって訳したかのようなケセン語訳は、これからの聖書翻訳にどういう影響を与えるか楽しみです。でも、無理かな~。
【2009/11/05 22:30】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
おお、今ちょうど、「ふるさとのイエス ~ケセン語訳聖書から見えてきたもの」(山浦玄嗣)を読んでいたところでした! 
実際の朗読も聞けて、感激です! ご紹介ありがとうございます。
ほんとに、イントネーションが韓国語と似ていますね。
【2009/11/06 01:12】 | はちこ #79D/WHSg | [edit]
あらー、シンクロニシティですね。笑) 
山浦氏の著作は、翻訳という視点からも、どれも面白いものばかり。まさか外国の地で、「ふるさとのイエス」を読んでおられるとは予測もしませんでした。

出版している、イー・ピックス社のサイトで、他の朗読も聴けますので、お試しください。本のさわり読みもできて、これも面白いです。

http://www.epix.co.jp/book-yamaura.html
【2009/11/06 13:43】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
そうなんですよ、日本に帰省していた友人が、この本は翻訳をしている私にいいだろうと、おみやげに買ってきてくれたのです。いろいろ考えさせられます。
翻訳って、技術であると同時に、アートでもあり、また哲学でもあるなぁとつくづく思う、今日この頃。

【2009/11/06 23:04】 | はちこ #79D/WHSg | [edit]
素晴らしい。津軽出身の東北人として生活実感のほとばしりが感じます。
【2009/11/07 10:15】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
Yoさん

「めっかったんだ。おふるめーしてよろこぶのあ、あたりめーだどー」

という最後のところに私はとくに感動しました。
「めっかった」
これは、北関東で幼児のころから私が使っていた表現で、いつの間にか忘れてしまった言葉で、それが再現されたとき、霧が晴れるような体感で、受け入れることができました。イエスさまも弟子たちも、アラム語という方言育ちですから、実際のところ、どうだったんだろうと、想像が膨らみます。
【2009/11/07 10:44】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
「アラム語という方言育ち、、」とはなるほどです。次回日本へ行くおりは手に入れたいですね。ホントに貴重な情報ありがとうございました。
【2009/11/07 11:24】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
いや、僕はケセン語の聖書は関西弁のイントネーションと異なるので、あまり気持として伝わってくるものは少ないです。自分の言葉の優位性を考えてみると、おかしなもので、自分の親や兄弟とも言葉のイントネーションは違ってきていますから、何か型にはまることを考えるのは、「文字は殺し、霊は生かす」のごとく、躓いてしまうのではないでしょうか?まだ、自分でもはっきりと腑に落ちたことをいえたとは思ってないのですが。
【2009/11/07 18:44】 | まきと #79D/WHSg | [edit]
実はこちらミシガンの教会で先月からシリーズで「放蕩息子の帰郷」の説教がありました。英語ですから私の理解に制約があるものの、登場人物に独自のスポットがあてられて新鮮な驚きでした。
【2009/11/12 12:10】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
まきとさん
関西弁の方から東北弁についての印象をおききできてよかったです。伝わるものが少ないのですね。イントネーションでずいぶん変わりますものね。

YOさん
放蕩息子のシリーズのメッセージが聞けて素晴らしいですね。それだけの内容を話すとなると、きっとナウエンの著作からインスピレーションを与えられた内容だと思われます。汲めども尽きないイエスの知恵に驚嘆です。
【2009/11/12 17:24】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
NYのリディーマー教会の牧師の著書に教えられたと。http://www.theprodigalgod.com/  中央の右上をクリックで要旨があります。
【2009/11/12 23:27】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
The Prodigal God by Timothy Keller がタイトルです。
【2009/11/12 23:32】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
YOさん
ケラー牧師のサイトの情報をありがとうございます。すごいきれいでセンス溢れるサイトですね。
ゾンダーバン社が相当力を入れているらしいですし、もうシリーズのスタディガイドやDVDなどもそろっている。
内容はかなり反響のある優れたものなのでしょうか。ケラー牧師はベストセラー作家ですから、注目されることでしょう。
【2009/11/13 13:29】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
NYにいる娘がときどきケラー牧師の教会で説教を聞いているようなのですが、素晴らしいと。確かにサイトは洗練されていますね。こちらの牧師はケラー牧師の「放蕩息子」にはとても啓発されたといっていました。以前ある方から伺ったのですが、絵の父親の手は片方が男の手で、もう片方は女の手で描かれていると。父親の厳しさと包み込む愛の両面が描かれているのでしょうか。
【2009/11/13 14:40】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
これだけ力を入れているサイトですから、内容もきっと素晴らしいことが推測できます。
そうなんです。この両手が男と女の手、父と母の手として描かれていることが、だいぶ前から知られているようですが、それを聞くだけでも、レンブラントの天才的な創意に感動します。
【2009/11/14 00:17】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
レンブラント独特のインサイト、神理解の発露ということでしょうか。そのようにレンブラントを駆り立てた動機を知りたいですね。彼自身の信仰の遍歴というか履歴という意味ですが。
【2009/11/14 09:30】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
はい、そのへんのことが、ケラーよりもっと前に書かれたヘンリ・ナウエン( Henri Nouwen)著『放蕩息子の帰郷』(Return of the Prodigalson)で知ることができます。レンブラントの悲劇的な人生、たとえ話のなかの息子たちの人生、著者ナウエンの人生を平行させて書きながら、読むものの心にせまってきます。名作です。英語で簡単に手に入りますので、ケラーの本と共に読まれるといいかもしれませんね。
【2009/11/14 09:59】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
実は3年ほど前に友人がヘンリ・ナウエン( Henri Nouwen)著『放蕩息子の帰郷』を送って下さったのです。その時はサラサラと目を通しただけでした。今思いを新たにしてじっくり読んでいます。蛇足ですが、津軽語訳(?)ですと父の気持ちは「おめ、よぐもどって来たな。よぐもどて来てくれだじゃ。ささ、え(家)さ上がれ。」の表現にとなるかと。
【2009/11/16 04:14】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
津軽弁ですか~。いいですね。北前船の影響で、関西の影響がある東北弁だそうですね。ナウエンの本、じっくり読まれるといいですよ。父の手、母の手の霊的意味についてしっかり書いていますから。
【2009/11/16 19:52】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
ナウエンの本、後半にさしかかってきました。いろいろ想像させられるのですが、果たしてこの放蕩息子が家庭をもってやがて父になっていく時、どういう父親になっていったかなと思うと。いぶし銀のごとく? 噛めば噛むほどに味がでるスルメのごとく? イエスのたとえ話といいながらも臨場感に引き込まれる思いです。
【2009/11/20 00:41】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
後半はなかなか深い世界に入っていき、明確でない次元になっていきますよね。素晴らしいが、恐れもある。希望もあるがひるませるものもある。光もあるが闇も深い。。。ナウエンは神父なので、結婚はしないものの、指導や助けを求めてくる、霊的な家族に、父として、母としての手を差し伸べるべきことを自覚している。しかし、それはかなり困難な道。しかし、何よりもイエスがその道を歩んでくださっていることに活路がある。。。と、黙想の世界に誘われます。
【2009/11/21 23:07】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]
やっと読み終えました。とは言え、必ずしもそしゃく仕切れている訳ではありませんが、感動です。人間的制約がありながらも、なお「霊的父」としてのあり方が問われますね。60前にしてこの本を知って良かったです。
【2009/12/05 22:25】 | Yo #79D/WHSg | [edit]
おお、そうですか。読み終えることができてよかったですね。おめでとうございます。放蕩息子が「父となる」とは、たしかにそうであり、意表をつく展開でもありで、いろいろと考えさせられ、生涯続く模索になりそうな課題ですね。

今度はケラーにも挑戦して、感想を教えてくださるとうれしいです。
【2009/12/08 19:21】 | amen-do #79D/WHSg | [edit]












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