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てい談/新刊『聖書に学ぶ子育てコーチング』を読む人のために。

 2011-08-22
8月23日
コメント欄に、出席者の中村さんより重要な点に触れたコメントがありました。かなり本質的な問題なので、ブログ本体の最下段にも【補足】として掲載させていただきました。日本語の「責任」と英語の「Responsibility」のニュアンスの違いです。ハッとさせられます。
 


photo.jpeg
 出席:中村佐知(翻訳家、心理学博士、シカゴ在住)
    結城絵美子(フリー編集者、元いのちのことば社編集者、
     月刊『恵みの雨』前編集者)
    小渕春夫(司会、編集者、発行者)

 日時:2011年7月19日(火)午後
 場所:東京・お茶の水駅近くのカフェ



th_th_0715.jpeg 小渕:きょうは『聖書に学ぶ子育てコーチング』の翻訳を担当してくださった中村さんが一時帰国中ということで、編集担当の結城さんと私とで会う機会を作っていたただき、ありがとうございます。実際は、友達であるお二人の茶飲み話の途中に、私が勝手に押しかけたわけですけども。笑)

 さて、今日(てい談時)の時点では印刷がまだ完成してませんが、せっかくの機会ですので、読者のために、また子を持つ現役の母として、本書を制作しながらどんな点が最も教えられたか、お話しいただけるでしょうか。


種まきと刈り取りの法則

yuuki.jpg 結城:ええ、もうたくさんあったのですが、あえて一つをあげれば、第4章「自分の言動には必ず「結果」が伴う──種蒔きと刈り取りの法則」ですね。聖書にある考え方ですが、子どもに「自分のしたことの結果は自分で刈り取ってもらうようにする」ということがいちばん、実際の子育てに大きな影響を与えることでした。

 これは、今までにも直感的にそうしていた部分もあったのですが、私のやり方と大きく違っていたのは、「やったことの結果は引き受けさせるが、それ以上の負担は負わせない」という部分でした。
 つまり、結果を引き受けるだけで大変な思いをしている子どもを、さらに感情的に責める必要はない、ということです。私はついつい、

 「だからあのときこうしておけばよかったじゃない」

と責めながらその刈り取りをさせたりしていたんですね。でもそうすると、子どもは親への怒りや恨みに気をとられて、「自分があれをしなかった結果がこれだ」という問題の本質から目がそらされてしまうのだ、というアドバイスは目からうろこが落ちる思いでした。

 「大変だね。頑張って」

と共感しながら責任を取らせればいいのだとわかったことは大きな収穫でした。それに感情的に責めると、ときに気持ちを抑えきれなくなって、必要以上に子どもを脅かしたり威嚇したりすることもありがちですよね。それを避ける意味でも大切な姿勢だと思いました。

 この「種まきと刈り取りの法則」は、誰もがすぐ取り入れることができるのではないでしょうか。


「自由」と「責任」と「自制」

s_nakamura0611s.jpg 中村:私が最初にこの本(原書)を読んだのは、長女が10歳のときでした。10歳というと、行動範囲も広がり始め、自分の好きなことをどんどんしたい時期です。そこで、自分のしたことには善きにつけ悪しきにつけ、「結果」が伴うことを教えると学んだことは、目からウロコでした。
 それと同時に、「自由」と「責任」は同じコインの表裏というか、つながっているのだと教えることも学びました。

 ただ自分の好きなように振る舞っていいというのでなく、先のことを考えて自分の行動をコントロールすること、「自制」を持つことの大切さですね。もちろん、一朝一夕にはいかないのですが、私の子育てにおいて、これを子どもに教え、養うことが、重要なゴールの一つとなりました。

th_th_0715.jpeg 中村さんは米国で英語で子育てをしているわけですが、「自由」「責任」「自制」という重要な三つの語彙は、日本語だと抽象度が高く、子どもの皮膚感覚で伝わりにくいですよね。英語を話す人は、子どもでもそれほど難しくなさそうでいいなあ。

 でも、これらの重要な言葉と概念を、日本の小学低学年であっても、しっかり伝えていくことが必要でしょうね。

yuuki.jpg 子どもに言葉を教え、そのコンセプトもしっかり伝えていくことの大切さですね。具体的な生活場面の例をとれば、「あれ買って」という要求に親が気まぐれに応えたり応えなかったりするのではなく、月に幾らという小遣いを決めて与えていく中で、

 「この中でよく考えて(自由に)使ってね。遣いきったらそれで終わりよ(責任)。次まで待たないと追加はあげないからね(自制)」

ということですね。
 あるとき息子が、小遣いの前借りを要求してきたことがありました。そのときは

 「残念ね」と「共感」し、

 「でも、前借りをしないでやっていける方法を今身につけないと、大人になってクレジットカードを持つようになってから大変なことになるからね。前借りは絶対になしと決めてるんだよ」と教えました。


「自由」と「制限」、しかも前向きに伝える

s_nakamura0611s.jpg 境界線を伝えるとき、「~してはダメ」という禁止や制限を与えるのがまず先にくるのではなく、

 「この中でなら好きにしていいわよ。どうするかは自分で決めてね(制限と自由)」

というふうに伝えるようにすることで、前向きな態度で子どもが考えられるようになるといいと思います。要は同じ制限を伝えるにしても、ポジティブな側面を強調するほうが子どもも受け入れやすいと思うんですね。

 また、反抗期の小さな子どもは、何に対しても「やだ!」と言うので扱いにくいですが、そんなときも、子どもに境界線内で選択肢を与えて自分で選ばせるようにすると、うまくいくことがあります。たとえば公園で遊んでいて、そろそろ帰宅時間になって、帰ろうと言っても子どもは「いや!」と駄々をこねるとします。そういうとき、

 「あっちの道から帰ろうか、それとも、こっちの道から帰ろうか?」

と、選ばせる。あるいは、

 「お歌を歌いながら帰ろうか、それともしり取りしながら帰ろうか」とか。


yuuki.jpg 自由と制限、限界を教えるときに、「あなたの自由にしていいよ」と言われても、子どもによっては成長段階に個人差があり、難しい子もいると思います。そうした場合、いま中村さんが言ったようなヒントを与えるのがいい思います。課題を少しやさしくしたり、助け船を出したりすることです。

 例えば、子を叱ったあと、まかせきりにしたり、あるいは特定の行動を押しつけたりせず、どうするかのいくつかのヒントを与え、そこから選ばせるようにする。そして少しずつ自信を持てるようにしてあげる。ですから、本に書いてあることをそのまま子どもに要求するというより、子どもをよく見て、相手に応じてさじ加減をするということですね。

th_th_0715.jpeg 考えてみれば、子どもに「自由」と「責任」を持たせることは、親が子どもを「信頼」「尊重」することでもあると思うんですよ。ですから「責任」をもたされる、つまり、まかされるということは、たとえ一時つらい「結果」を刈り取ることになっても、本人の自覚、自負心を育て、ひいては、セルフイメージも高めるのではないでしょうか。

s_nakamura0611s.jpg 大学に入った大きな子どものことが「心配でたまらない」と私に打ち明けた米国人の友人がいました。日本と同じだな~と思いました。そこで、本書を読むように薦めました。

 文化の違いはあるにしろ、親子の関係の問題はどこも同じものがありますね。心配のあまり、いつまでも子どもの面倒を見たくなるのですが、親もまた子離れしなくてはなりません。
 アメリカの場合、高校を卒業して大学に行く18歳が目安ですが、近年では経済状況の悪化から、30代になっても親元にいる青年が増えています。その辺も日本と似ていますね。


あえて失敗を許し、見守る

yuuki.jpg 先日、小学校の保護者会があり、小遣いの与え方や、「自分で上履きを洗うように言っても結局洗わない」というようなことが話題になりました。
 本書を編集したばかりだった私は、「そう、そう、境界線を知らないとそういうとこで迷うよね~」と、思いながら聞いていました。そして、この本を読んでほしいな~と強く思いました。


s_nakamura0611s.jpg 親もそうですけど、子どもが失敗しながら学んでいくのを見守る、ということが大切だと思います。

 「そんなことをすると悪いことが起こるよ」

と脅したり、ネガティブに迫ったりするより、ちょっとやそっとのことなら、「ああ、これはだめだな」と親が思っても、あえて子どもの納得いくようにやらせたり。そして、うまくいかなかったときには

 「どうしてうまくいかなかったのかな?」

と問いかけ、次は違うように行動すれば、もっと良い結果が得られるかもしれないと本人が気づけるよう、助けてあげるといいですね。

 そうそう、以前うちではこんなことがありました。息子が、寝る時間ギリギリまで宿題をせず、いざやろうと思ったら、教科書を学校に忘れていたことき気づき、宿題ができなかったのです。そのとき、

 「こういうことがまた起こらないようにするためには、どうしたらいいと思う?」

と尋ねると、本人は、

 「宿題は学校から帰ってきたらすぐやるようにする。そうしたら、教科書を忘れていても、学校に取りに戻る時間があるから」と言いました。

 その後、また教科書を忘れてきたことがあったのですが、その時は帰宅してすぐに宿題をやろうとして気づいたので、学校に取りに戻ることができました。
 このように、次に良い選択をして良い結果が得られたときは、

 「あなたが○○を選んだから、~~になったね。良い選択(良い判断)をしてよかったね!」

と励ましてあげることを心がけています。まぁ、教科書を忘れないようにも気をつけて欲しいのですが。(笑)

th_th_0715.jpeg うちでもあるとき、当時、小学生だった娘が、学校に糊を買って行かねばならないと前日の夜に思い出し、私の職場に電話してきました。「あした必要だから買ってきて」と、涙声で懇願するんです(本書のp.110に、子どもが糊を忘れたエピソードがある)。
 そんなことが二、三度ありました。ささいなことだし、かわいそうだからつい買って帰ってしまったのですが、自分が忘れたという責任を負う体験を奪ってしまったことにもなりますよね。笑)

 まあ、騒動になったことで娘は充分学べたでしょうし、「すべて負わせるべきだ」と厳格にのぞまなくてもいいと思うのですが、私のほうで「境界線」を意識できたら、もっと賢く対処できたのではと思います。


「境界線」を繰り返し教えていく大切さ

s_nakamura0611s.jpg 境界線を教えると言っても、現実は一回で実現するのではなく、何回も何回も繰り返し伝えていかないとうまく伝わりません。親がネチネチ、いやみたらしく、しつこく責任を問わないことも必要だと思います。そこでは、親側に「自制」が必要になってきます。

 本には具体的事例が簡潔に書いてあるので、「こんな簡単にいくのか」と勘違いするかもしれませんが、実際には、そうは簡単にいきません。

 そのためにもぜひしていただきたいことは、例えば月に一回などの読書会を作り、同じ立場にいる人たちと体験を分かち合い、また他の人の取り組みを聞くような学びの場を作ってほしいということです。

 1人で孤立していては挫折感に捕らわれて、「ああ、やっぱり自分はダメな親だ」で終わってしまうかもしれません。

 グループで学ぶと、共感、励まし、貢献が生まれますし、そうするうちに、私たちの内の「未発達な境界線」に気づくことが多くなります。そして、子育てと言いながらも、じつは親の側の「自制」が大切になってくことを教えられます。

th_th_0715.jpeg 子育ての問題は尽きることがありませんが、よく言われるように、親は「子どもよって育てられる」という気づきが生まれる貴重な一時期だと思います。
 これは、神様からくる霊的な気づきではないでしょうか。いままで気づかなかった自分を知り、自分を育ててくれた親の影響について教えられ、ひいては、父なる神の私たちに対する御想いに気づくことにつながっていくのではないでしょうか。

 短い時間でしたが、とても充実したお話を聞けて、ありがとうございました。もっともっと聞いていたいですが、そういうわけにもいきません。
 本の制作に関わった者で、このような貴重な時間が持てて幸いでした。ぜひ、またいつか学んだことを分かち合う機会を作りましょう。(終)



【補足】「責任」と「responsibility(責任)」の違い

 中村:「責任」ということに関して、少し補足したいと思います。

 日本語で「責任」というと、漢字にもあるように、「責める」というニュアンスが出てくるかと思いますが、境界線で言うときの「責任(responsibility)」には、「責める」という要素は入りません。あくまでも、自分の言動がもたらした現実に直面させ、それに応答させる(respond)させるということです。

 一番最初の結城さんの発言にもあるように、子どもが失敗したりすると、その失敗の現実に直面させることに加えて、親が子どもを責めたりなじったりすることも少なくないかと思います。

 しかし、責めたりなじったり、というのは、親の側の感情の問題であり、それは親が自分の問題として対処すべきことです。小渕さんがおっしゃっているように、ここで親は自制を働かせることを学ばなくてはなりませんよね。私も、特にこの点でたくさんの失敗をしてきました。

 子どもにとって、自分の失敗の現実に直面することは、それだけで十分大変なことなので、著者が、親は子どもの悲しみや痛みに寄り添って、共感を示す必要があると言っているのは、そういうことなんですね。

 「本人に責任を負わせる」と言いながら、親の感情の始末まで子どもに負わせないように、気をつけなければいけないなぁと思います。


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「責任」ということに関して、少し補足したいと思います。

日本語で「責任」というと、漢字にもあるように、「責める」というニュアンスが出てくるかと思いますが、境界線で言うときの「責任(responsibility)」には、「責める」という要素は入りません。あくまでも、自分の言動がもたらした現実に直面させ、それに応答させる(respond)させるということです。

一番最初の結城さんの発言にもあるように、子どもが失敗したりすると、その失敗の現実に直面させることに加えて、親が子どもを責めたりなじったりすることも少なくないかと思います。

しかし、責めたりなじったり、というのは、親の側の感情の問題であり、それは親が自分の問題として対処すべきことです。小渕さんがおっしゃっているように、ここで親は自制を働かせることを学ばなくてはなりませんよね。私も、特にこの点でたくさんの失敗をしてきました。

子どもにとって、自分の失敗の現実に直面することは、それだけで十分大変なことなので、著者が、親は子どもの悲しみや痛みに寄り添って、共感を示す必要があると言っているのは、そういうことなんですね。

「本人に責任を負わせる」と言いながら、親の感情の始末まで子どもに負わせないように、気をつけなければいけないなぁと思います。
【2011/08/23 23:14】 | はちこ(中村) #GG3Qes2w | [edit]
補足をありがとうございます。日本語話者は、こうやって本来の原文の意味から離れて、自分の文化で受けとめてしまことがありますよね。英語を使っているようでも和製英語化している。
少しどこころか、かなりありそうです。

ほんとなら誤解を生まない言葉を作っていかねばならないところでしょうが、現在はなさそうで、言葉における文化的衝突と言えそうです。

【2011/08/23 23:52】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
日本語の場合、「責任を問う」ということが、condemnする(罪に定める)こととつながってしまう傾向があるように感じます。

日本の原発問題にしても、政府や東電の責任を問う=彼らを罪に定める、という流れになってしまっていますよね。関係者の刑事訴訟にまで発展してしまったり。でも、本来、責任を問うとは、罪に定めることではなく、適切な応答を求めることだったはず。私たちが互いの間で罪に定め合ったところで、何も解決しません。

イエスさまがこの地上にこられたのも、私たちをcondemnするためでなく、私たちがイエスさまに応答することで救われることでした。(ヨハネ3:17) 
神様が私たちに罪の責任を問うとは、人間がイエス様を受け入れるという応答をすることで、救われるように、ということなんですね。この違いを明確にしておくことは、福音を伝える上でも重要かもしれませんね。
【2011/08/24 00:09】 | はちこ(中村) #GG3Qes2w | [edit]
政治家たちが盛んに言う、「責任をとる」は、地位から降りる、ということですものね。
日本語の「責任をとる」は、歴史的に「ハラキリ」あたりに語源があるのかもしれません。

本来の意味をたどることは、とっても大切ですね。
「応答責任」を正確に言い表するにはカタカナ表記の助けを得るしかないのかな~。好きではないですが。
「レスポシィビリティ」などと。
【2011/08/24 00:22】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
福島第1原子力発電所の事故原因解明や安全規制のあり方を検討する事故調査・検証委員会の委員長になった畑村洋太郎氏が、「原因究明優先し、責任追及はしない」と言われたことを思い起こしました。
 責任追及を放棄するのではなく、真の原因を究明するには責任者に、罰を恐れる心配なしに、なぜ失敗したかを考えさせるためだそうです。
【2011/08/24 11:11】 | まえじま #- | [edit]
なるほど。ただ「事故調査・検証委員会」の目的において、ということですね。真の原因は何か、意見が分かれるでしょうが、おおいに議論してほしいです。
その後、社会が放っておくかだと思います。


と、「バウンダリー論議」とはなれちゃいましたね~。w
【2011/08/24 12:38】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
いやいや、そんなに離れてないですよ。
「罰を恐れる心配なしに、(失敗や人生でうまくいっていないことなどの)原因究明をする」というのは、イエスによって実現された「恵みとまこと」(ヨハネ1:17)を通して、まさに神様が私たちに与えてくださっている機会であり、神様のそのようなお取り扱いを、クラウド&タウンゼントは「恵みのセイフティーネット」とも呼んでいます。成長のためにはそれが必要なんですよね。

子育てでも、夫婦間でも、スモールグループでも、メンタリングなどでも、責めたり罪に定めたりすることなしに、自分や相手の弱さを認め、それを取り扱える関係というのが大切ですね!
【2011/08/24 22:32】 | はちこ(中村) #GG3Qes2w | [edit]
返事遅れてすみません。「恵みのセーフティネット」ですか。うまいネーミングですね。

この発想は、かのパスカルがしていることを思い出しました。精確な表現は忘れましたが、イエスの前でのみ、人は何もかもあからさまに、かつ恐れるることなく存在することができる、というような。

人格の成長のために必要だというのは、たしかにその通りですね。私はどうも原発という生々し現実に目が行ってしまって、人格の成長の問題に結びつけられなったようです。
【2011/09/03 00:11】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
草花さん、
正直な分かち合い、ありがとうございました。
本当に大変だと思います。
だいぶお疲れがたまっているものとお見受けします。
独りになる時間もなかなかとれないことでしょう。
ご主人に話を聞いてもらっていますか。

妻はもっと大変だったと思いますが、私も泣き止まない娘を抱いて夜中にお守りをしました。いくらだっこして泣き止まない娘に怒りがこみ上げ、それに耐えるために歯をくしばりました。そして、よほど固くくいしばったのか、歯がぐらつくようになり、歯医者で治療してもらいました。

怒りは誰もが抱く感情ですよね。怒らないことが人間としてすばらしいのでなく、怒った時、どう対処したらよいかが大切になってきます。

知り合いがいま、月に一回、「アンガー(怒り)マネジメント」というセミナーをしています。子育て中のママさんに共通する怒りを、どう扱ったらよいかのスキルを学びます。

「イライラしない子育てへの道」
http://ameblo.jp/ambo-ambo/

もし、遠くにお住まいでなかった参加すると、何かの出口が見つかるかもしれません。
あるいは、講師を呼んだり、個人面談を申し込んだりもいいかもしれません。
【2013/10/04 14:15】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]












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