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神学者N.T.ライトが呼び起こす波紋(1)「天国の理解は間違っていた?!」

 2012-06-19
ワシントンポストの記事「N.T.ライト:天国の理解は間違っていたのか?」

N.T.Wright 英語版人物紹介

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聖書が示す天国とは何か
 長い間、キリスト者が天国として描いていたイメージ、概念は間違っていたという、ドキッとする記事が、先月のワシントンポスト(英語)に掲載されました。それを自分なりに要点をまとめてみます。
 
 発言のぬしはN.T.ライトという、現代のプロテスタントの世界的な神学者(新約学 イギリス)ですが、こうした見解はいまや欧米のキリスト教界において、リベラルから保守に至るまで、だんだんと受け入れられつつ(指導者の間)あるのだそうです。

 「欧米のキリスト教信徒のほとんどが思い描いている天国の概念は、聖書からものすごく離れている」とライトは言うのですが、いったいどういうことなのでしょう。

異教的な天国観の混入
 ライトによると、初期キリスト教や初期の信仰者たちは、現在のキリスト者の大半が思い描くような天国観(どこか天上の霊的な世界や雲の上のような場所で、老若男女が永遠にハッピーに生活する)ではなく、当時のユダヤ教を根底にした理解の上に立っていたといいます。

 これは現在、かつてないほど初期ユダヤ教の研究が進んでわかってきた成果らしいです。

 現在、西洋のキリスト教の天国理解は、中世のキリスト教が受け入れた「天国」と「地獄」の概念やイメージを引き継いでいると言います。つまり、ミケランジェロの祭壇画や無数の宗教画、ダンテの『神曲』などに描かれた死後の世界は、新約聖書のどこを探してもないというのです。それは多分に、他宗教やギリシャ思想から混じり込んだもの(二元論的世界観。本ブログも右欄「二元論とキリスト教」で何回か考察)だと言います。一時的に過ごす「パラダイス」はライトも認めています。

イエスは「神の国」の働きを開始したメシア
 1世紀のキリスト教徒たちは、死後の世界に憧れ、地上を離れた天上世界に永遠に住むことで慰めを得ようとしたのでなく、この地上に「神の国」が到来することを信じていたのだそうです。それは、エデンの園からの追放(exile)に始まった人類の呪い、裁き、死、邪悪から救われる「神の国」の訪れです。

 「従来の天国観は、新約聖書が示すものとまったく調和しない」とまで言います。

 イエスが弟子たちに教えた有名な「主の祈り」がそれを端的に示すように、「御心(神の意思)が天になるごとく、地にもなされる」ことが、イエスとイエスに従った弟子たちが描いていた世界です。
 つまり、天と地が出会うところ、天と地が重なるところが、この世界に実現することです。

永遠の命?
 聖書を読み始めたときに、私もほとんどピンとこなかった「永遠の命」(仏教の<極楽>とどこが異なる?)。それは、これまでのキリスト教が人々に伝えてきた中心的要素の一つです。

 N.T.ライトはこの「永遠の命」と訳されているのは、「荒っぽい訳」であり、かなりプラトン主義的な思想(ギリシャ思想)が紛れ込んでいる(or で読み込んでいる)と、びっくりするようなことを言っています。

 よく引用される言葉に、有名なヨハネの福音書3章16節があります。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(口語訳)

 この後半の元々の意味はライトによると、

 “but should share in the life of God's new age.”

 と言い換え、このように初期キリスト教徒は受け止めたのだと言います。

 「神による新しい時代の生(いのち)を共に生きる(私訳)」
 とでも訳せるでしょうか。

神の国の到来の始まりを告げたイエス
 聖書が示すように、イエスはメシア(旧約聖書的な意味で)であり、何よりも神の国をこの地上にスタートさせた存在です。

 ですからそれに従う人(イエスの弟子)の生き方は、イエスがすでにこの世でスタートさせた神の国の建設に加わることになります。
 自分はすでに霊的に救われて、天国でずっと幸せに暮らせるし、この世は「いずれ滅びるから関心がない」という冷淡さを生み出す可能性がなくもない霊性でなく、神の国の価値観に生きることで、どんな相手だろうと、相手を「悪の勢力、敵とみなして、神に代わってやっつける」という傲慢な二元論的、対立的態度になることなく、社会正義の実現、非暴力、和解のわざを、この世界で浸透させていくということなのでしょう。
 イエスがそう生きたように。。

 N.T.ライトの神学の全容は、まだまだ私にもよく分かりませんし、彼の言っていることがすべて正しいと言う自信もありません。しかし、英語圏で浸透し始めたこれらの理解が、より聖書に沿ったものなら、宗教化した「キリスト教」の汚れを落とすことにもなり、西洋的な色づけを脱色させ、もともとの聖書の世界(中近東~アジア)との整合性を回復さえ、東洋人の感覚とも合う新鮮な信仰世界への案内になるのかもしれません。


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カテゴリ :N.T.ライトの神学思想 トラックバック(-) コメント(8)
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コメント
オブさん、日本語での要約、感謝です!

Surprised by Hope でNTライトが論じている天国観について、この数年、私もブログに書こうと思いつつ、腰が引けてしまって(?)さわりしか書けなかったのですが、オブさんが口火を切ってくださり、嬉しいです!

これは、アメリカのABC局の看板ニュース番組Nightlineに、数年前にライトが天国についてインタビューされたときのビデオです。
http://www.youtube.com/watch?v=Z50Jv-PXYb4
【2012/06/19 22:53】 | はちこ #GG3Qes2w | [edit]
そうでしたね。はちこさんも、前から触れてみたかった大切なテーマでしたね。

ワシントンポストやABCの有名ニュース番組で取り上げられ、英語圏でかなり知られたのに、日本では一部しか知られていないのは残念です。

私もようやく、おそるおそる、何を言っているかおぼろげながら理解できたので、文章にすることができたと思います。
こうしたことの問題意識(二元論の混入)はずっと持っていたのですが、これに正面から取り組んだ神学者がいたという発見はうれしいです。

相当の博学、研究者、言葉の達人でないと、こうした複雑にからみついた、長い歴史もへた問題を腑分けし、判別して叙述するのは大変なことだと知りました。

N.T.ライトさんには、私たち信徒にも分かりやすく、これからもどんどん発言してほしいものですね。
【2012/06/19 23:43】 | オブことクレオパ #jSt4TPmo | [edit]
御名をあがめます。

 信仰者の生と死の連続性の指摘は大切なことですね。
 永遠のいのちは、死後のいのち、というよりは、今も注がれ、後々にも注がれ続ける永遠のいのちの連続だと考えます。
 そして、それは、神との絆そのものでしょう。

 絵画的な天国像を脇において、改めて聖書そのものに教えられていることは、大切なことですね。
 「未だ」よりも「すでに」与えられている恵みを喜ぶ意味においても。

 ただ、シンプルに「永遠の(アイオーン)いのち」と記されているみことばを、“but should share in the life of God's new age.”と解釈することが、どのようにして成り立つのかが、私には今は理解できません。
 
 シェアしていただいた情報を心に留めておいて、この著名な学者の言わんとする所にアンテナを伸ばしておこうと思います。

 感謝しつつ。
【2012/06/22 11:42】 | Stephan #H0bQqYv6 | [edit]
Stephanさん、
コメント、ありがとうございます。
「永遠の命」については、神と和解し、親しい関係に入れられたという理解に私は信じて間もなく達しています。ただ、信じる前や、霊的に幼かったころは、永遠の命を得たいから信じるというのは惹かれませんでした。つまり、「死後の裁き」と対になっている概念としての「永遠の命」が欲しいとは願わなかったのです。

伝道においては、「人は罪で汚れていること、悔い改めでイエスを信じなければ、死後に裁きにあう。そう聖書に書いている」というアプローチが福音派に多いわけですが、私はまだ20代前半で、若さのだだなかにありました。死は恐いですが、これからの人生において、何を目的に、なんのために生きていったらよいかが、いちばん重要で、最大の関心ごとでした。死後のことではなく「これからどう生きるか」です。

伝道で永遠の命をあまりに強調されると、当時の私にとって、「死後、閻魔大王の前で裁かれて地獄に落ちるかもしないから、念仏を唱えさえすればいい。それで極楽に入れる」というのと、あまり変わらないように思えました。
そこで、「神と結ばれた新しい生活」ということの理解が「永遠の命」ということの意味であると教えられたら、がぜん生きる意欲が与えられ、心から納得できたと思います。

N.T.ライトが、なぜこのように意訳したかについては、学者ですから、たぶんどこかに詳細な解説があるかと思います。私たちは、「聖書の記述を素直にそのまま受け取ればいいではないか」と思いますが、その言葉(翻訳後)を受け取る私たちの側に、当時のユダヤ人とは異なる、後世の影響による概念が形成されている、というのが彼の主張でしょう。

日本に生まれた私としては、初めて「永遠の命」という言葉に接した時、「永遠」とは、時計時間が無限に続く物理的時空間という科学的理解と、「永劫、輪廻転成」という仏教的概念をヒントに、「輪廻や生まれ変わりのない固定した状態」かもしれないと勝手に想像する宗教的理解で受け止めるのがせいいっぱいでした。神との人格的関係ということなど、想像することさえできない日本育ちの非キリスト者は、みな同じようなものではないでしょうか。

しかし、そう受け止めるのは本来の聖書が意図していることだろうか?という問いがあります。

N.T.ライトの神学世界は膨大な内容らしいので、異端的思想か、聖書の権威をないがしろにするものでない限り、注目していきたいですね。

【2012/06/22 13:41】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
 「永遠のいのち」の件ですが、「永遠」(アイオーン)とは、来るべき神の新しい時代を指しています。日本語の訳語が誤解を招くものであると考えます(英語でもeternalなので、誤解を招くのですが)。つまり、イエス・キリストを通してもたらされ、その再臨によって完成する天地万物復興のあたらしい時代のいのちこそ、新約聖書が約束している「永遠のいのち」です。そう考えると、神の国が既に到来しているのですから、わたしたちはこの「永遠のいのち」をすでにキリストにあって生きています。なぜならば、新しい神の時代にキリストへの信頼のゆえに生きているからです。
 このあたりのことは、1コリント13章でも語られており、信仰/希望/愛とは「永遠のいのち」に生きる者のしるしであり、これらは万物復興の時にも、新しい時代の特徴なのですから、「その時」が来ても、残るのです。
【2012/06/26 12:05】 | かまの #- | [edit]
かまの様、

コメントありがとうございます。
なるほど、言語のアイオーンは、そういう意味なのですね。
「原語(ヘブライ語)から訳された聖書」といううたい文句も、過去の翻訳に影響されて、「永遠」としてしまうのでしょう。ウルガヤ訳あたりで「永遠」という訳語は決まってしまったかもしれません。(勝手な推測)

そうすると、ライトの意訳は、的を射ていると受け止めることができます。

聖書翻訳、がんばってほしいです。ふつうの現代人が、そのことばで何をイメージするのか、それを考慮した訳が欲しいです。最近出たトマスネルソン社発行の新しい英語訳聖書「Voice」は(ライトの影響を受けたのか?)天使を「メッセンジャー」、キリストを「油注がれた者」として。原意に近い意味を掘り起こしています。

【2012/06/26 13:48】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]
私も、「永遠の命」の件でコメントしようと思って今こちらに来たら、すでにかまの先生がコメントされていましたね。
new ageという表現をすると、それだけで、「ニューエイジだ!」と思って警戒してしまう人たちがいるでしょうから、ライト師のこの記事を読んだとき、その辺、表現を工夫してほしいなぁと、素人ながらに思っていました。(私は、原語でのニュアンスとか、そういう肝心なことはちっとも分からないのですが。汗)

今日のスコット・マクナイトのブログ記事で、missionalの定義に関するものがあり、その中にこういう一節がありました。

It’s about God’s mission in this world in Christ in view of the Age to Come/Kingdom of God.

かまの先生も、「「永遠」(アイオーン)とは、来るべき神の新しい時代を指しています」とおっしゃっているように、
God's new age=the Age to Come=Kingdom of God と理解して構わないのであれば、ヨハネ3:16の「永遠の命」と訳されていた箇所は、「来るべき神の国の命」としてもいいのかしら、と思いました。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、来るべき神の国の命を得るためである」

あるいは、神の国はすでに到来しているのだから、「来るべき」は外してもいい? いずれにせよ、この『永遠の命」は、死後に開始する新しい命ではなく、御子を信じる人には現在すでに始まっているものなのですよね。

そういう理解を、クリスチャンたちはこれまで持っていなかったわけではないと思うのですが、「死後の天国」の話と相まって、「永遠」という言葉のニュアンスなどから、混乱があったように思います。少なくとも私自身は、混乱していました。
【2012/07/06 04:00】 | はちこ #GG3Qes2w | [edit]
はちこ様
お返事、遅れてすみません。しばらく留守をしておりました。

ある人が、「ニューエージだ」と形容したのは、この永遠の命の意訳から連想したのかは分かりませんが、たしかに、まぎらわしいですね。
new era などとできないものかと思いますが、私も同様、学者でも英語が母語でもないので分かりません。

「永遠の命」と訳されている語は、未来に訪れる、ほとんどの人にとっては死後の世界、という意味でなく、今すでに始まり、これからもずっと続く「命の営み」という理解ですね。

「永遠の命」と「神の国」は、これまで私の中では別物と考えていたと思います。

 N.T.ライトが説明するようなものが、より本来の意味だとすると、もっと広大な神の計画の中での「自分と教会」をとらえることができるように思います。 現在と未来への見通しもよくなって、厭世気分で生きるのでなく、この世で積極的に生きる元気が出てくる感じがします。

【2012/07/09 14:44】 | クレオパ #jSt4TPmo | [edit]












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