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N.T.ライトが呼び起こす波紋(2-2)「死後の命はあるのか?」(abcニュース)

 2012-06-26
前回からの続きです。

『未完成交響曲』を例に引いて
 リチャード・ドーキンス(邦訳多数)、サム・ハリス、クリストファー・ヒッチェンスというような無神論者は、キリスト教の信頼性を崩そうと精力的に言論活動をしていますが、ライトは、インタビュアーに答えてこう言います。自分が提示する世界観は、確かなものに基づいている、と。

 彼はそれを、シューベルト作曲の『未完成交響曲』を例にあげて説明しています。
 シューベルトの交響曲は、完成したものは八曲(あるいは九曲)とされ、その中で、第一楽章、第二楽章しかない『未完成交響曲』は、その美しさから、彼の交響曲の中で一番有名な曲です。シューベルトの時代はふつう、四つの楽章で構成されるのですが、書かれなかった残りの二楽章がどのように奏でられるのか、実際に聞くことができなくても推測できると言います。

 つまり、他の交響曲から推測したり、パターンを勘案したり、最初の出だしと対応する形で(いくらか差異はあっても)、どのように交響曲が閉じられるか、つまり、輝かしい、快活な和音で閉じられるだろうと推測することは難しくないのです。「それがシューベルトだ」と、私たちに分かるからです。

 そのように、神について、イエスについて、私たちは十分なほどの知識を持っているので、そこから神が、やがてどのようなことをなさるのか、ほぼ正確に推測できると言います。

 「非常によかった」と創造主が満足なさった世界の初めはいわば、美しい調和した和音で始まる交響曲の第一楽章です。その後、上へ下へと波乱に富んだ楽章を経過したとしても、最後はまた、第一楽章の冒頭と呼応する、平和的、調和的な美しい集結部を迎えるはずです。それは、作曲した神が、愛と義のお方であると分かっているからだと、ライトは言いたいのでしょう。


現実の世界での生き方の見直しを迫る
 ライトの書いた本は、死後の世界や、やがて訪れる新天新地に私たちの目を向け、その果てしない世界を瞑想して満足して終わるのでなく、そうした終末観が、現実生活にいかに大きな影響を与えるかを強調したいのだそうです。

 死んだのちこの世を離れ、二度とこの世のことで煩わされることのない天国が終着点なら、結局、神は、この世界を見捨て、不要なものとして廃棄しているのと同じになる。
 それなら、社会正義、AIDSの蔓延、国際的な経済破綻などに取り組むのは、取るに足らないものとなってしまうではないか、と。

 神の義と平和の神の国の働きは、イエスの登場で開始され、やがて全世界に浸透することを信じることは、ライト自身の生活の現場でこそ必要とされている、と言います(イエスの生きた時代とメッセージがそうであったように)。死後の復活と新天新地への展望は、彼の住んでいる地域の貧困、喪失、平和を作り出す働きに取り組む積極的な力を与えてくれるそうです。

米国で受け入れられつつある?
 ちなみに彼は、北アメリカの信頼性の高い神学大学でも招かれ、近年、盛んに講演、講義をしているようです。そうであるとすると(賛同できるかは別にして)正統的な神学者として受け入れられている証拠だと言えるのでしょう。
 それらの大学は、ウィートン大学(数回)、ムーディ聖書学院(学生が招いた)、カナダのリージェン・カレッジ(頻繁)等。
 イギリス人だからできたのかもしれませんし、後に彼がどう評価されるか不明ですが、こうした捨て身の神学者が新しい次元を開き、後世に長い影響を与え続けるのかもしれません。


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カテゴリ :N.T.ライトの神学思想 トラックバック(-) コメント(0)
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