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読書会『「日本」とは何か』(網野善彦著)

 2012-07-25
その他


「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

 ある仲間(7人)と二ヶ月に一回、読書会をしています。今回は上の本を選びました。担当は私でした。
参加者全員とても面白く読み、古くて新しいことを教えられました。
 著者の網野善彦氏は、数年前亡くなったばかりですが、大変尊敬され、その著作にもファンが多い、現代の代表的な日本史家です。
 私はこれまで読んだことがなかったのですが、その御高名は友人から聞いていました。

網野善彦(Wikipedia)

 昔の用語、地名、制度名など、あまり親しんでいない漢字用語、漢文が資料的によく出てきて、果たして最後まで読み切れるかと心配しましたが、なんとか読み切りました。
 日本に暮らしながら、ほんとに日本について知らない(思い込み、誤解がある)ことが分かりました。

 以下、読書会用のメモ書きですが、自分の記録用としてアップ。網野氏の主張のいくつかのまとめ。
 宮崎駿監督も愛読しているようで『もののけ姫』の時代設定、登場人物に大いに彼の著作を参考にしたようです。


私たちの抱く「日本、日本人、日本国」の概念は、近代の国家政策、歴史観の影響を強く受けていて、歴史的事実に基づいた理解に乏しい。古事記、日本書紀など、かつての権力者が意図的に用いて国民を教育した神話、それにまつわる物語からくる概念が、いまも根強く残っているという主張に貫かれた最晩年の著作。

 歴史学者や教科書の記述を含め、一般に普及している日本の歴史観、そこに登場する人々、解釈、理解、概念は、近代思想である「進歩史観、マルクス主義、皇国史観、国家主義、ヨーロッパ中心史観、生産重視、農本主義」の影響を強く受けている。これは近代歴史学の欠陥と言える。

 本書に引用された言葉
 「戦後歴史学は」「すべてを国民国家・国民経済・国民文化、つまりはナショナルの枠組みに収斂させてしまう近代歴史学の歴史意識から脱することができなかったばかりか、むしろそれを格段に強める結果を生んだ」二宮宏之『戦後歴史学再考』
 注意してほしいのは、戦前、戦中のことでなく、戦後の歴史学についての指摘なんですね、これが。

「事実を追求せず、神話、物語などで単一なイメージが作られ、日本、日本人、日本文化が論じられてきた。」(p.333)

 例えば次ぎのような誤解が根深くある。

1)「孤立した島国」という誤解
  実際は、日本海を内海として、四方、八方の外国との交流が昔から盛んだった。
  済州島からの人の流れ 韓国、大陸からの人、文化、文物の交流があった。

2)「単一民族」という誤解
  沖縄 小笠原 戦後の在日 アイヌ ウィルタ(樺太の先住民族 オロッコ)
  ニブヒ(アムール川流域に住むモンゴロイド先住民)熊襲 えみし 渡来人等が混在して、日本人が構成されている。
  東北 北海道 沖縄は、長い間、日本国に属さなかった歴史がある。 
  紀元前三、四世紀、北東アジア系の弥生人が移入しきた。7世紀までの千年に数十万~120万人以上と指摘する学者がいる。

3)「単一な文化」という誤解
  地域、民族が多様で単一でない伝統、意識、言語、個性的社会集団が存在する。
  今も感じる「東国、西国」の違いがある。鎌倉幕府の成立でさらに東西の異なる性質を持つ社会が作られた経緯がある。

4)「かつて日本の住人は貧しい農民がほとんど」という誤解
  被差別民 海民 山人 女性 老人 子どもなど、様々な人々の生活が歴史研究で無視されてきた。
  さまざまな生業があり、大きな影響を与えていたが、あまり顧みられてこなかった。
  大工 船大工 紺屋 鍛冶 瓦屋 石工 酒屋 木挽 左官 屋根師 綿打 畳屋 合薬店 社家 医師 山伏 漁民 材木商 僧侶 神官 髪結 提灯張 茶屋 桶屋 回船問屋 布売り 炭売り 蒔絵師 博労 銅細工 相撲 鏡磨き等のさまざまな職能民  

5)「日本」という国名への無知
  「日本」とは、列島の住人の中で、京都、奈良、大阪などの五畿に住む古代の人々をルーツとする「大和民族」を中心にした視点から国名とした経緯がある。その王の称号として「天皇」を採用した「王朝名」が「日本」であった。7世紀末に成立し、それ以前は国名がなかった。
  国名が成立する以前の弥生人、縄文人、各地域に住む先住民、渡来人をみな、「日本人」と呼んでしまう曖昧さがある。それは学問の場でも、政治の場でも、歴史教育においても、ほどんと考慮されてこなかった。

6)「稲作中心の瑞穂の国」という誤解
  日本と米という結びつきは、他にもたくさんの農作物を作っていた農業という姿をゆがめた。歴史的に東日本では、最近まであまり米は作られていなかった。これは政治的キャンペーンによって普及した概念でもあった。
 
7)「農業=百姓=貧農」という誤解
 歴史が、農業、工業の面ばかりで記述され、理解されてきた。山、野、川、海での生業、その産物の加工業、商業、流通業の研究が最近まで欠如している。「百姓」と分類される中に、豪商と言える裕福な人々、資本家もいた。
 「百姓」はもともと農業をするを指してはいなかった。さまざまな職種を持つ一般人のことだっだ。それが中世以降、徐々に農業を営む人に当てはめて権力者が分類するようになり、ついには蔑称にもなっってしまった。


 以上のほかに、さまざまな指摘があったが、とくに古代から中世にかけての歴史の理解、学説の捉え直しの分野で網野氏は大きな貢献をしてきた。

 とくに興味深かったのは、日本をフォッサマグナの中央で東西に分け、東西の社会的、文化的違いの歴史的な解説。「ああ、そうだったのか。だからこちらの意図が通じにくかったのかもしれない」と驚きの気づきをした読書会メンバーもいた。

  「江戸時代までは東国と西国の区分が制度的、社会的に区分できる。」(P.343)

 それは現在まで尾を引いていると言える。

 網野歴史学は、膨大な内容があり、まだまだ知らないし、興味もつきない。

 以下の本も、個人的に読んでみたいリストだ。日本の少数民族や非差別民についての研究も興味深い。
 日本の歴史を古代にさかのぼって捉え直す、日本史におけるN.T.ライトのような存在ではないかと思えてきた。

その他


日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)


東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)


無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))


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