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『もしドラ』から学ぶピーター・ドラッカーのマネジメント

 2010-05-28
 いまや『もしドラ』と言われる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら』(岩崎夏海著 ダイアモンド社)は、ご存知の方もたくさんいると思います。売れ行きは、48万部を越えたらしいです。

 ユニークな可愛い漫画をカバーに使った驚きの装丁。しかもお堅いビジネス書の出版社がなんでだろう? と驚きの反響を呼び(ある意味それが成功した)、ついには最近、NHKテレビの報道番組でもとりあげられました。これに連動して、ドラッカー本のリバイバルが!(写真は近くの有名書店の展示)

 ドラッカーについては、前にブログで取り上げたことがありましたが、しばらく読んでなかったので、恥ずかしながら購入して読みました。

 感動しました!!(大声)

 たいへんよくできた青春ドラマ仕立てのドラッカー入門書。

 私はiPhone版を電車内で読んだ後、感動のあまり三冊購入して、「読んでほしい」と思われる」友人にプレゼントしました。

 そしてきょう、二回目を読了しました。電車の中で感動で涙を流しました。(←単純。笑)
 人間の成長のドラマにもなっています。
 それほど深い人間理解に根ざした展開です。感心してしまいます。映画化も可能に思いました。

 マネジャーが人を見るときの第一の基準は、能力ではなく、その人の「真摯さ」だとありました。英語は何かを調べたら、これが、「インテグリティ(integrity)」なんですね。

 「真摯さ」も悪くないですが、「心の態度、気力、気合い、本気度」のような感じがします。私の中では、「誠実さ、言行一致、人格の統合性」というほうがピンとくる。

 これは、イエス・キリストの人格を表すときにも使われる代表的な要素。親近感が湧きました。

 およそ、人と協力して働いている人なら、皆が読むといいと思いました。
 おもに企業経営に適用されているでしょうが、すべて適用できるとは言えなくても、ドラッカーの人間洞察はどんな共同体でも活かすことのできる知恵の書。最高の入門書が生まれました。

 ドラッカーを読んだことのない人は、ここから入ったらどうでしょうか。
 人生や人間関係が豊かに変わるかも知れませんよ。(実行すればですが。。。)
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サンド氏による「ユダヤ人の起源」の邦訳が。

 2010-05-19
 ブログ記事で書いた関連本の邦訳が出ていました。
 今年の三月末。知りませんでした。

 イスラエル内と、ヨーロッパでかなりなセンセーションを呼び起こしたようですね。

アマゾンのサイトから抜粋

「聖書時代から現代まで、世界の常識を根底から覆す歴史的大作
 世界15ヵ国で翻訳され、欧米で衝撃のベストセラー」

「2008年初めに出版されたとき、本書は「異様な」と評してもいい受けとめ方をされた。
 本書は電波メディアから強い関心をもって迎えられた。これに対し、周囲の歴史学者の世界は、本書に向ってアカデミックな突撃のときの声をあげた。
 そして、ことさら激越なシオニストのブログ上で、私は民族の敵として指弾された。
 なんと19週にわたって、本書はベストセラーの「ヒットパレード」に数えられた。「日本語版への序文」より」
(大丈夫かな、この翻訳。汗)

『ユダヤ人の起源』歴史はどのように創作されたのか(Amazon)

朝日新聞に書評にも、反シオニズム論の新刊ラプキン著『トーラーの名において』と合わせて載りました。

書評『ユダヤ人の起源』(asahi.com)

 新聞の書評は、『トーラーの名において』についてこう解説しています。(抜粋)

(著者)ラブキンは、現在のイスラエルにおいて、ユダヤ教の立場からなされるシオニズム批判に焦点を当てている。真摯なユダヤ教徒にとって、シオニズムは神を裏切るものであり、ユダヤ教史上、最大の敵である。彼ら(ラプキンら真摯なユダヤ教徒)は政治的には保守的なのだが、イスラエル国家そのものを否定するという点で、左翼的な批判者と一致する。以上、両書を併せ読むことで、現代世界における最も深刻な問題の一つに関して、より包括的な理解が得られよう。

 値段も高く、ページ数もありますが読んでみたいな~。
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来住(きし)神父との出会い

 2009-04-28
 先週、福岡から電話があり、最近、たまに読んでいる
『目からウロコシリーズ』の著者、来住英俊様から連絡をいただきました。ナウエンについてのある資料を入手したいといことでした。そして、ちょうど上京なさるといので、「せっかくですから」と、事務所近くのコーヒー店で先週の金曜日にお会いすることに。

 私はいまこのシリーズの『詩編で祈る』『キリスト者同士の人間関係』『福音書の中にイエスを「見る」祈り』『聖書の読み方 レクチオ・ディヴィナ入門』などを読み初めていますので、その分かりやすく、有益な本作りに親しみを感じていましたので、こんな形でお会いできてうれしい出会いでした。

「目からウロコシリーズ」が作られた経緯
 せっかくですので、このシリーズについてお伺いしました。

 まず分かったのは、この冊子の分かりやすさは、講演をもとにした本だということです。なるほど。そして、ある信徒が記録してくれたものを、その人の提案で本にしたみたのだとか。
 もう、数年をへて、今は8冊のシリーズになっています。どれも、たいへん簡潔に分かりやすくまとめられた入門書(実践はそれなりの努力が必要)です。
 他の宗教でたまに見られる「超入門本」を心がけて企画したのだそうです。私のようなカトリック教会に詳しくない者が、何らかの伝統的なものを学びたいときに親切な冊子です。

御受難修道会とは
 来住神父の属する御受難修道会とは、18世紀のなかばに創設され(創設者:十字架の聖パウロ)、日本に入ってきたのは、50年くらい前だそうです。とくに信徒教育というか、信徒のための黙想、祈りの指導に使命を負っている団体だそうです。

 出版活動についても少し意見を交わしましたが、出版社の使命として「読者を育てる」ことも大切であると力説なさっていました。
 そのための「文体」、また「漢字の使い方」についてもご意見をお聞きし、たいへん参考になりました。
 これからも書物を通して、またお目にかかる機会があったら、いろいろと教えていだだきたいと思いました。

 「目からウロコシリーズ」、とても読みやすいですので、興味があるものから手にとってみてはいかがでしょうか。
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ユニークな業界紙登場『Ministry』

 2009-04-15
 前から楽しみにしていた新企画雑誌『Ministry』(キリスト新聞社 本体1500円 季刊)が、10日発売になりました。

横断的執筆陣
 思い切ったことをしましたね~。
 まず執筆陣が面白い。日本のプロテスタントを横断的に人材登用しています。このような企画は戦後初めてではないでしょうか。(よく知りませんが。)

 キリスト新聞社というと、戦前からあるプロテスタント教会をバックに、歴史のある団体です。戦前からの日本キリスト教団系の人材で固めて当然なのに、戦後復興した福音派プロテスタンタント(現在、勢力では世界と日本の主流派)の執筆者も大胆に採用。また非キリスト者の執筆者もいます。編集、制作でも福音派系の人材が協力している模様です。
 一時代前だったら考えられないこと。島国日本のキリスト教界の特殊事情のなか、旧世代(ドイツ神学派? -私の造語)が着々と新世代(英語神学派?)に代わっている兆候かもしれません。

 非キリスト者の執筆とは、「新来会者が行く ノンクリスチャン八木谷涼子の教会ウオッチ」の筆者です。日本のキリスト教について、ふつうの一市民の感覚から研究している方で、一般出版社から数冊の著作を発行。教会をあれこれ訪問して、「なんでこうなんだろう?」というような、普通人の感覚で調べたり、意見を発表している方です。

 私も彼女の『知って役立つ キリスト教研究』(新潮OH文庫)のファンで、資料としてよく拝見しています。巻末の資料のお役立ち資料も優れもの。文庫にあるイラストもご本人作のようで、秀逸なんです。内容もなかなか正確で、感心してしまいます。

 本誌面の「教会(ぎょうかい)用語ウオッチ」コーナーでは、「礼拝を守る(必ず出席するといいう意味)」が扱われていて、思わず爆笑していまいました(文庫版でも触れている)。私も教会に行くようになって、「なんで、『礼拝を守る』という言い方があるのだろう? 人にプレッシャーをかけるフレーズだな~」と奇妙に思っていました。英語のkeepの訳なんでしょうか?
 ただ、カトリック信者には通用しない言い方なんですって。知らなかった~。

 岡田明さんとみなみななみさんによるマンガも意欲的。現代の若者文化を鋭くとらえた活発なブログでの言論活動をしている水谷潔牧師による「ちょっと 危ない教会談義」も、ユーモアのセンスが炸裂して面白いです。

無神論は時代遅れ
 今号で、いちばん楽しみにしていたのは、

  対談「無神論の黄昏」
   森本あんり(17世紀ピューリタニズム研究家 ICU教授)×アリスター・マクグラス(ロンドン大学教授 世界的に有名な神学者)

 両者の対談は、内容がとても明晰で的を射たもので、挑発的無神論者
リチャード・ドーキンス(邦訳多数)についても言及しています。「なぜキリスト教なのか」という論点をめぐって、現代的なアプローチ。

 内容を詳細にここで扱うには長くなるので避けまが、マクグラス氏は、「無神論も一つの信仰です」「キリスト教は他宗教も含めて、世界を意味あるものとして理解させてくれる」「わたしは無神論からキリスト教徒になったが……仏教もイスラム教も……キリスト教に見出したような知的性格をもっていないように思った。(それらが)知的でないのではなく、わたしにとっては、キリスト教の光がいちばん明るかった」(内容のごく一部の要約。詳しくは本誌をお読みください)と、いろいろとヒントを与えてくれる意見が興味を引きました。この対談、願わくは10回くらいの連載にしてほしい。

 DVDが付属していて、「日本の説教者シリーズ」第一回は、加藤常昭牧師の説教、インタビューを見ることができます。

 現れては消えていく日本の正統派のキリスト教雑誌。今後、どういう内容で「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」(同誌キャッチフレーズ)となってくれるか、楽しみにしたいです。



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現代の奇人か聖人か? ー『奇跡のリンゴ』

 2009-02-16
 本屋に立ち寄ってふと目にした本です。たしか昨年、テレビで再放送をチラッと見た記憶が。
(へ~本になってたんだ~。2008年7月発行だ)
 歯の欠けた田舎のおじさんの笑顔が表紙を飾って、意表をついています。

 石川拓治著『奇跡のリンゴ』(幻冬舎)
  ー「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録

現代の童話? いえ実話です
 驚きました。語り継がれた童話でなく、現代の実話です。家族を貧困に喘がせつつも、無農薬、無肥料のリンゴを栽培するための十数年の苦闘を記したノンフィクション。

 80年代、バブル景気のころ、周りのリンゴ農家も景気がよく、それなりの豊かな生活を送っていたのに、毎日、毎日、家族総出で病害虫との格闘を続けた木村家の貧乏物語。
 理由の一つは、農薬の被害で奥様が1週間くらい寝込むことがあったからでした。妻への愛からの出発。日本の見事なリンゴは、すごい種類の農薬を使って、あのように大きな甘いものができているのですね。

 無農薬を始めたときに800本あった木の半分を枯らし、八年目にやっとそのうちの一本が七つの花を咲かせ、その年の収穫はたった二個。それが今から20年前。

 10年以上の歳月を費やし、いまや驚くほどにおいしいリンゴが収穫できるようになりました。その実のおいしいこと! ある人は初めて食べたとき、種以外みな食べてしまったとか。しかし、それを生み出した木村家の言語の絶する苦労といったら! 

聖書に言及した箇所
 最初と最後に聖書にちなんだ話を、著者の石川氏は記しています。エデンの園でアダムとイブが食べた禁断の実は、リンゴとして絵画に描かれていますが、リンゴという名称の語源(西洋)は「木の実」だったんですね。知らなかった。

 本の最後は、ノアの箱船のエピソードが出てきます。リンゴ農家の木村さんが信仰を持っているとは書いてありませんが、貧困を顧みず、周りの農家のあきれた目、ときには非難にも近い対応にも負けず、一途に無農薬リンゴを作り続けた木村さん。その生き方は、人々の嘲笑にひるむことなく、何年もかけて箱船を家族で作り上げたノアとぴったり重なるではないですか。そして、人々に希望をもたらしたことも・・。「カラカラ」と笑って否定するでしょうが、木村さんは、まさに現代の(ある意味)「聖人」奇人ならぬ「貴人」ではないでしょうか。

 いまは殺到する注文に追いつかず、抽選で販売しているのだそうです。
  木村さんのWebサイト

 著者は書いています。あまりのおいしさに絶句し、不覚にも涙が……。
 人間が破壊した自然の恵みの素晴らしさの回復! 
 
 以下に木村さんの言葉を少し。

「人間に出来ることなんて、そんなたいしたことじゃないんだよ。
 みんなは、木村はよく頑張ったっていうけどさ、私じゃない、
 リンゴの木が頑張ったんだよ。(略)だってさ、人間はどんなに頑張っても
 自分ではリンゴの花のひとつも咲かせることが出来ないんだよ。手の先だって、
 足の先にだって、リンゴの花は咲かせられないのよ。
 (略)そんなことは当たり前だって思うかもしれない。
 そう思う人は、そのことの本当の意味がわかっていないのな。
(略)私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。
 失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。
 それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな」

 それは、木村さんのリンゴの木への深い知識と、命を育む愛情によるケアがあったからこそ花開いた恵みの味。エデンの園の実の豊かな味わいを想像させる匠の業です。その背後には、絶望のどん底でつかみ得た、不思議な発見、啓示とも言える出来事がありました。
 また、彼のリンゴ作りを裏で支えた何人かの犠牲的な支えもあったということです。今の人気が、木村さんの農作業の妨げになりませんように。

タゴールの詩
 著者の石川氏が冒頭に引用したタゴールの詩(祈りでしょ)の一部を載せてみます。
 訳は本にあったものでなく、私が試しに訳してみました。

 成功したときだけ、あなた(神)のご配慮を感じるような臆病者でなく、
 失敗したときこそ、あなたの手の内に守られていると
 気づく者であらせてください。

 Grant me that I may not be a coward,
 feeling your mercy in my success alone;
 but let me find the grasp of your hand in my failure.


    by Tgore "FRUIT GATHERING"から

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